ミュージカル『ヘアー』東京公演
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:58 UTC 版)
「加橋かつみ」の記事における「ミュージカル『ヘアー』東京公演」の解説
帰国後、加橋かつみは、各界の著名人が集うイタリアン・レストラン「キャンティ」のオーナーであり、当時、日本芸能文化のパトロン的存在だった川添浩史と共に、ロック・ミュージカル『ヘアー』を日本に紹介。日本人キャストでの公演を実現する。 『ヘアー』は、ベトナム戦争の泥沼化という当時の世相を反映した作品だった。1967年10月29日、ニューヨーク、ダウンタウンにあるパブリック・シアターを皮切りに日本を含め、イギリス、西ドイツ、フランスなど十八か国で上演されることになるこの作品は、ベトナム戦争への抗議、性[要曖昧さ回避]の解放、資本主義に対する嫌悪、宗教に対しての疑問など、当時のアメリカの若者達の心情をテーマとした。ブロードウェイ上演は1968年、ブロードウェイにロックを持ち込んだ最初のミュージカルであり、アメリカ社会に大きな影響を及ぼした。 この公演で加橋は、日本語への訳詞を手掛け、主役を務める。初演は1969年12月、渋谷東横劇場で行われ、東京公演では11万人を動員したと記録されている。1970年2月をもって東京公演は終了。予定されていた大阪公演は実現しなかった。東京公演中の1970年1月10日、プロデューサーだった川添浩史が、最終公演を見ることなく肝臓癌のため逝去(享年56歳)。川添を実の父親のように慕っていた加橋は、臨終の病床に付き添った。このことで加橋は、大きな精神的打撃を受けることになった。
※この「ミュージカル『ヘアー』東京公演」の解説は、「加橋かつみ」の解説の一部です。
「ミュージカル『ヘアー』東京公演」を含む「加橋かつみ」の記事については、「加橋かつみ」の概要を参照ください。
- ミュージカル『ヘアー』東京公演のページへのリンク