マーケット・ガバナンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/06 13:24 UTC 版)
「マーケットメイク」の記事における「マーケット・ガバナンス」の解説
インスティネットは取引所ではないと考えられ、1975年まで証券取引委員会から規制が提案されなかった。1987年、インスティネットがロイターの子会社となった。競争にさらされていた証券取引所から訴訟を提起されていた私設取引システムに対し、やっと1989年4月に証券取引委員会が、取引所でも証券会社でもない新しい取引システムとして規制する方針をうちだした。国際決済銀行が1990年ごろに提出した見解によると、銀行間取引市場が他の金融市場と融合しているという結論であった。シャドー・バンキング・システムのグローバル化は、彼らが地球規模で企業統治へ干渉することを可能にした。 1994年5月、ヴァンダービルト大学のクリスティ教授とオハイオ州立大学のシュルツ教授が、「なぜナスダックのマーケットメーカーは奇数の呼び値を避けるのか(Why do NASDAQ Market Makers Avoid Odd‐Eighth Quotes?)」と題する論文を発表した。この論文は大反響を呼んだ。投資家と証券会社は、マーケットメーカーが談合したせいで損害を被ったとして、全米各地で訴訟を提起した。司法省と証券取引委員会も調査に乗り出した。クリスティ、シュルツ両教授が第二の論文を発表し、マイクロソフトやシスコ・システムズといった銘柄で奇数表示の気配が現れ、結果的に最良気配のスプレッドが50%近くも縮小した。債券やオプション取引の専門業者などの、「株式を取引するナスダック市場とは関係が無い」NASD会員も改革圧力をかけた。11月、NASDはラドマン元上院議員(Warren Rudman)を委員長とする特別委員会を設置した。この委員会は1995年9月に報告書を提出し、独占疑惑そのものを否定しながらも運営の有り方を改めることを提言した。NASDは提言を全面的に受け入れ、11月あらたに自主規制会社を設立した(NASD-R)。新会社のCEOにはメアリー・シャピロ(Mary Schapiro)が就任した。
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