マーキュリーレコードとは? わかりやすく解説

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マーキュリーレコード (曖昧さ回避)

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/04/02 11:56 UTC 版)


マーキュリー・レコード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/23 03:11 UTC 版)

マーキュリー・レコード
Mercury Records
親会社 ユニバーサル・ミュージック・グループ
設立 1945年
設立者 アーヴィン・グリーン
バール・アダムス
アーサー・タルマッジ
販売元 ユニバーサルミュージック
ジャンル R&Bファンクソウルロックジャズカントリーポップスクラシック
アメリカ合衆国
本社所在地 イギリス
公式サイト Mercury Recordsアーカイブ

マーキュリー・レコード(Mercury Records)は、1945年アメリカ合衆国イリノイ州シカゴで設立されたレコード会社である。設立当初はインディーズとしてスタートし、1961年以後はメジャー・レーベルの子会社となった。マーキュリー、ポリドールは、ポリグラムの傘下となった。レコード業界の合併による巨大企業グループ化の流れで、ユニバーサル ミュージック グループの傘下にあり、イギリスに形式上の本部を置く。アメリカでは、名称とロゴはバック・カタログとリイシューにのみ使われている。

沿革

1945年にアーヴィン・グリーン、バール・アダムス、アーサー・タルマッジによって、シカゴのインディーズ・レーベルとして設立された[1]R&Bジャズクラシックカントリー・ミュージックなど手広く扱ったが、ソウル・ミュージックファンクロックンロールなど戦後の新しい音楽に焦点を当て、大成功を収めた。

エロール・ガーナーダイナ・ワシントンパティ・ペイジが初期の代表的なミュージシャンとして知られている[2]。ジャズでは、ジーン・アモンズ、ジミー・スミスらによる、多数のジャズ・アルバムを発表した。シカゴとミズーリ州セントルイスの2箇所にプレス工場を開いた。1940年代後半には「キーノート・レコード」を買収し、1950年代にはプロデューサーのノーマン・グランツと組んで、一連の作品を発表。また、プラターズの「オンリー・ユー」が大ヒットになった[3]。1954年にはジャズ部門を独立させたエマーシー・レコードを設立。また、映画のサウンドトラック用35mmテープを流用したクラシックの高音質録音をいち早く手掛けた。

1961年にフィリップス・レコードに買収され、傘下のレーベルとなり、以後親会社が再三変更となった。マーキュリーはR&Bだけでなく、バーケイズ、ボハノン[4]キャメオ[注 1]コン・ファンク・シャン[5]などファンクのジャンルにも強いのがレーベルの一つの特色だった。1980年代にはポリグラムに、フィリップス・レコードごと買収される。

1998年末にポリグラムMCAレコードを有するシーグラムに買収され、両社はユニバーサル ミュージック グループに統合される。再編成でマーキュリーはアイランド・デフ・ジャム・ミュージック・グループに組み込まれ、所属ポップアーティストはアイランド・レコード[注 2]デフ・ジャム・レコードレーベル[注 3]に振り分けられた。

サブ・レーベル

主なアーティスト

過去・現在両方

マーキュリー・ジャパンの歴史

(その後、トリオ日本ビクターなどに販売元が移転)

タイヘイレコードが日本での販売権を獲得したのち、マーキュリーの音盤を販売していたのは約5年間。マーキュリー・ミュージックエンタテインメント(MME)は、ポリグラム株式会社[注 7]の子会社にあたるレコード会社。1995年日本フォノグラム[注 8]が社名変更して発足した。1970年代歌謡曲、ニュー・ミュージック時代からのフィリップス・レコードの流れでJ-POP部門を有しており、実質的にポリグラムのJ-POP制作部門にあたるレコード会社だった。

社名変更時の社長は石坂敬一だった。1999年ユニバーサルミュージックK.K.(現・ユニバーサルミュージックLLC、以下UMJ)になっている。


かつての日本の所属アーティスト

上記MMEについて特記する。クラシック・歌謡曲系のマーキュリー所属については、

日本マーキュリーの歴史(別会社)

出典:[6]

関連項目

脚注/出典

注釈

  1. ^ 「シーズ・ストレンジ」(1984)などのR&Bヒットを持っている
  2. ^ スティーヴ・ウィンウッドらが所属した
  3. ^ パブリック・エナミーLLクールJスリック・リックナイス&スムーズ英語版EPMDらが所属した
  4. ^ 「ムーブ・ユア・ブギー・ボディ」「ヒット・アンド・ラン」などのソウル・ヒットを持つバンド
  5. ^ 元々はチョコレート・シティ・レーベルほかに所属していたが、CD化の際にはマーキュリーが手掛けた
  6. ^ 元々はディライト・レーベルの所属していたが、CD化の際にはマーキュリーが手掛けた
  7. ^ かつては、ジェームス・ブラウンバリー・ホワイトの発売元だった。
  8. ^ かつては、クイーンの発売元だった。

出典

  1. ^ Mecury Records co-founder Berle Adams dies”. Variety. 2022年1月12日閲覧。
  2. ^ Patti Page”. allmusic. 2024年5月1日閲覧。
  3. ^ プラターズ”. 2023年2月20日閲覧。
  4. ^ Bohannon Biography”. 2023年2月21日閲覧。
  5. ^ Artist Biography - Con Funk Shun”. 2022年1月8日閲覧。
  6. ^ 法人概要”. マーキュリー日本. 2023年2月16日閲覧。

外部リンク


マーキュリー・レコード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 18:46 UTC 版)

ヤングブラッズ (1960年代のバンド)」の記事における「マーキュリー・レコード」の解説

Two Trips Jesse Colin Young With The Youngbloods1970年)マーキュリー・レコード SR- 61273 ※ジェシ・コリン・ヤングソロ作Young Bloodデモ・テープ編集したもの。 Hey Babe/Sometimes/Another Strange Town/No More Pain/Nobody's Dirty Business/Summer Rain/Brother Can You Spare Dime?/Walkin' Off The Blues/Doc Geiger/Lullabye

※この「マーキュリー・レコード」の解説は、「ヤングブラッズ (1960年代のバンド)」の解説の一部です。
「マーキュリー・レコード」を含む「ヤングブラッズ (1960年代のバンド)」の記事については、「ヤングブラッズ (1960年代のバンド)」の概要を参照ください。

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