マンセル家の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:44 UTC 版)
「ナイジェル・マンセル」の記事における「マンセル家の活動」の解説
近年は長男レオ・マンセル(英語版)と次男グレッグ・マンセル(英語版)のレース活動を支援している。2005年、息子らのためにイギリス・デヴォンシャーにあるカート場を買収し、大規模なレーシング施設に改修したが、その際地元住民から騒音公害と近隣道路の渋滞の原因となるとして猛反発を受け、「キャンセル・マンセル」と銘打った反対運動を起こされた。2006年はイギリスフォーミュラ・BMWのチームを買収し、マンセル・モータースポーツとして参戦。また、同選手権の大使に就任しPR活動を行った。 兄弟は2007年はイギリスF3、2008年はチャンプカー・アトランティックシリーズに参戦したが、2009年はレオがアメリカン・ル・マン・シリーズ、グレッグはワールドシリーズ・バイ・ルノーに進んでいる。ふたりはイギリスの国旗をかたどった父親のヘルメットデザインを継承している。 2009年9月13日、英国シルバーストンで開催されたル・マン・シリーズ最終戦1000km耐久レースLMP1クラスにチームLNTからスポット参戦。マシンはジネッタ-ザイテック・GZ09S。グレッグと2006年のル・マンGT2クラスウイナー、ローレンス・トムリンソン(ジネッタCEO)との3名体制で挑み、結果は総合28位。 2010年、第78回ル・マン24時間レースLMP1クラスに息子たちとともに参戦。チームはビーチディーン・マンセル・モータースポーツ(Beechdean Mansell Motor Sports )、マシンはジネッタ-ザイテック・GZ09S。念願の親子でのル・マン参戦が実現したが、スタートから間もなく左リアタイアがパンクし、200mph(約320km/h)で高速クラッシュ。リタイア後、救急車で搬送されたが軽症で済んだ。 2013年にはレオとともにジャージーで中古車ディーラーを開業。ウィリアムズ・FW14Bや優勝トロフィーなどを展示するマンセル博物館(The Mansell Collection )を併設した。
※この「マンセル家の活動」の解説は、「ナイジェル・マンセル」の解説の一部です。
「マンセル家の活動」を含む「ナイジェル・マンセル」の記事については、「ナイジェル・マンセル」の概要を参照ください。
- マンセル家の活動のページへのリンク