レオ・マンセル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/18 09:57 UTC 版)
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レオ・マンセル(2010年)
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国籍 | ![]() |
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出生 | 1985年1月4日(40歳)![]() マン島 |
ル・マン24時間での経歴 | |
年 | 2009-2010 |
チーム | チーム・モデナ, ビーチディーン・マンセル |
最高位 | 27位 |
クラス優勝 | 0 |
レオ・ジェームズ・マンセル[1](Leo James Mansell、1985年1月4日 - )は、イングランド(イギリス)・マン島出身のレーシングドライバー。
1992年F1ワールドチャンピオン、1993年CARTチャンピオンのナイジェル・マンセルの息子で、レーシングドライバーのグレッグ・マンセルの兄である。
経歴
2000年に弟と一緒にカートからスタートし、同じシリーズで参戦していた。2006年、フォーミュラ・BMW UKでフォーミュラカーレースに進出。
同年にイギリスF3選手権最終戦スラクストンで招待選手としてフォーテック・モータースポーツから参戦し、レース1では14位、レース2では13位だった。
2008年7月14日、父のナイジェルと共にエストリル・サーキットでチェンバレン=シナジー・チームの「ル・マン」プロトタイプマシン・ローラ=AER B06/10をテストし、2009年のル・マン・シリーズでGT2クラスに参戦し、フェラーリ・F430をドライブした[2]。
2010年、弟のグレッグ、父のナイジェルと共にジネッタ-ザイテック・GZ09Sからル・マン・シリーズの一部のレース、ル・マン24時間レースに参戦。開幕戦カステレ8時間レースで総合9位(LMP1クラス8位)でゴールしたが、ル・マンでは4周目にナイジェルがドライブするGZ09Sの左リアタイヤがパンクしてクラッシュを喫し、親子でのル・マン挑戦は終わった。
レース戦績
アメリカン・オープン=ホイール・レーシング
アトランティック・チャンピオンシップ
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2008年 | ウォーカー・レーシング | LBH 19 |
LS 11 |
MTT Ret |
EDM1 17 |
EDM2 Ret |
ROA1 13 |
ROA2 Ret |
TRR 13 |
NJ 12 |
UTA 16 |
ATL 11 |
19位 | 68 | |
ソース:[3]
|
ル・マン24時間レース
年 | チーム | コ・ドライバー | 車両 | クラス | 周回数 | 順位 | クラス 順位 |
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2009年 | ![]() |
![]() ![]() |
フェラーリ・F430 GT2 | GT2 | 314 | 27位 | 7位 |
2010年 | ![]() |
![]() ![]() |
ジネッタ-ザイテック GZ09S | LMP1 | 4 | DNF | DNF |
脚注
- ^ “Leo James MANSELL”. Companies House. 15 June 2023閲覧。
- ^ “Mansell tests ALMS Lola with son Leo”. autosport.com. 2025年2月16日閲覧。
- ^ “Leo Mansell”. Champ Car Stats. 17 February 2023閲覧。
- ^ “Leo Mansell”. Automobile Club de l'Ouest. 17 February 2023閲覧。
- ^ “Leo Mansell Results”. Motorsport Stats. 17 February 2023閲覧。
外部リンク
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