レオ・マゾーニーとは? わかりやすく解説

レオ・マゾーニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 05:08 UTC 版)

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レオ・マゾーニー
Leo Mazzone
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ウェストバージニア州
生年月日 (1948-10-16) 1948年10月16日(73歳)
選手情報
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
  • ブルース高等学校
  • アルガニー・カレッジ・オブ・メリーランド英語版
コーチ歴

レオ・マゾーニーLeo Mazzone, 1948年10月16日 - )は、アメリカ合衆国ウェストバージニア州出身の元プロ野球選手、元野球指導者。

投手コーチとしてのその卓越した手腕により「史上屈指のピッチング・インストラクター」と言われる。

経歴

1967年から1975年までマイナーリーグで投げ続けるも、メジャーには昇格できず。引退した翌年からマイナーの監督を務め、1979年からはマイナーの投手コーチとして、アトランタ・ブレーブスに入団。

1985年にはメジャーの投手コーチに昇格するも、一年でマイナーに逆戻りする。しかし、1990年に再び昇格。後の名将であるボビー・コックス監督と共に昇格し、以降16年間にわたり投手コーチを務める。

コックス監督の盟友として良き相談役となったり、名GMと言われるジョン・シャーホルツが見極めて獲得してきた選手を育成・再生するなど手腕を発揮。グレッグ・マダックストム・グラビンジョン・スモルツら史上最高の3本柱を作り上げ、デニー・ネイグル、クリス・ハモンドを育てた。資金削減策に苦戦した2000年代にはマイク・ハンプトンホルヘ・ソーサ、ジョン・トムソン、ジャレット・ライトを建て直すなど投手王国建設に力を入れ、チームの14連覇に大きく貢献。

2006年からはボルチモア・オリオールズの投手コーチに就任。エリック・ベダードジェレミー・ガスリーアダム・ローウェンを育てたが、成績不振は脱せず。3年契約だったが、2年で解雇された。

2016年8月より、サウスカロライナ州にあるファーマン大学英語版野球部の特別顧問を務めている[1]

功績・評価

「外角低めにファーストボールを集める」「8割の力で投げ、球数を多く」を信条に、数多くの選手を育成・復活させてきた。

90年代はブレーブスの投手陣がタイトルを独占しており、サイ・ヤング賞は10年間の内6度、最多勝は8度獲得している。チーム全体の防御率もマゾーニーが在籍していた16年間のうち、リーグトップが10回。2位も2回あり、就任した直後の1990年が最下位だったこと、2003年が9位だったこと以外はほぼ完璧となっている。

脚注

  1. ^ Leo Mazzone - Special Advisor - Baseball Coaches”. Furman University. 2022年1月5日閲覧。

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