マリノ・レハレタとは? わかりやすく解説

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マリノ・レハレタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/29 10:10 UTC 版)

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はレハレタ第二姓(母方の)はアリザハラガです。
マリノ・レハレタ
Marino Lejarreta
個人情報
本名 マリノ・レハレタ・アリザバラガ
Marino Lejarreta Arrizabalaga
愛称 走る労働者
生年月日 (1957-05-14) 1957年5月14日(61歳)
国籍 スペイン
チーム情報
所属 引退
分野 ロードレース
役割 選手
プロ所属チーム
1979
1980–1982
1983–1984
1985
1986
1987–1989
1990–1992
ノボスティル・エリオス
テカ
アルファ・ルム
アルピラッテ・シエレ
シート・オルベア
カハ・ルラル
オンセ
グランツール最高成績
主要レース勝利
ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合 1982
ブエルタ・ア・エスパーニャ ポイント賞 1983
カタルーニャ一周 1980、1989
クラシカ・サンセバスティアン 1987
最終更新日
2008年2月22日

マリノ・レハレタ・アリザバラガ(Marino Lejarreta Arrizabalaga、1957年5月14日- )は、スペインバスク州ベリス出身の元自転車競技選手。

来歴

1982年ブエルタ・ア・エスパーニャにおいて、総合1位だったアンヘル・アロヨに禁止薬物であるアンフェタミンの陽性反応が示されたことから順位剥奪となり、同2位だったレハレタが繰り上がり優勝を果たした。

グランツールにおける総合優勝実績はこの一度だけだが、レハレタといえば現役当時、グランツール3つ全てに出場する機会が1987年1989年1990年1991年の4回もあった。ちなみに現役当時、ブエルタ・ア・エスパーニャとジロ・デ・イタリアの開催間隔はせいぜい1週間あるかないかといった日程で組まれていただけに、同一年度において、3つ全てに出場することはかなり困難なことであった。しかも下記に示す通り、総合上位にも食い込んでいる回数も少なくない。

グランツールにおける総合成績

ツール・ド・フランス

ジロ・デ・イタリア

  • 1983年… 6位
  • 1984年… 4位
  • 1985年… 5位
  • 1987年… 4位
  • 1989年…10位
  • 1990年… 7位
  • 1991年… 5位

ブエルタ・ア・エスパーニャ

  • 1980年… 5位
  • 1982年…優勝
  • 1983年… 2位
  • 1984年…棄権
  • 1986年… 5位
  • 1987年…34位
  • 1988年…棄権
  • 1989年…20位
  • 1990年…55位
  • 1991年… 3位

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