マキリという名称について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 05:30 UTC 版)
“アイヌ民族によって用いられている短刀”としての「マキリ」という名称は、日本語の爪打刀(つめうちかたな)の略称である爪切(つまきり)から頭音脱落する形でアイヌ語に導入されたと考えられているが、頭音脱落する形で小刀をマキリと呼び習わしていた青森、秋田、岩手、能登、出雲のいずれかの地域から直接マキリという語を導入した可能性もある。いずれにしても、アイヌは金属精錬技術を持たず金属器はすべて日本から輸入していたので、呼称に関してもマキリだけ例外ということは考え難い。それに加え北海道に輸出されたすべてのマキリとタシロは1785年時点では酒田鍛冶によってニシン解体用に生産された包丁だったとされる。これは北前船の西廻り航路でのニシンを中心とした流通経路と、日本人の下でニシン漁と加工を請け負っていたアイヌが日本人から提供されたニシン解体用のマキリに汎用性や有用性を見出した事が理由だと思われる。 明治32年(1899年)の鳥居龍蔵の調査によるとオホーツク海沿岸のアイヌはマキリは本来「エペラ」という呼び名であり、「マキリ」というのは日本人のことばだと証言している。さらに、日高や胆振では「マキリ」だけが記憶されており、当地のアイヌはそれを固有語だとしているが、寛政3年(1791年)に菅江真澄が胆振の虻田で小刀の名称として「エペラ」という語を記録しているので、少なくとも1791年時点ではマキリは日高や胆振で小刀は「エペラ」と呼ばれており、「マキリ」という呼称はそれ以後に移入されたもので、アイヌの固有語ではないことを示している。 その他の北海道アイヌの部族では小刀を「エイワケ」「エイワキ」「イケレッフ」等と呼称していたことが知られている。なお、それらの呼称は元々は石器の小刀を指す言葉であり、日本製の鉄製小刀との区別のために「マキリ」という呼称が日本から導入された可能性が高い。 近年、アイヌのマキリ以外の“マキリ”について「アイヌ語から」「北海道以外の日本の漁業者やマタギが使う「マキリ」はアイヌ語やアイヌのマキリに由来する」「アイヌのマキリが伝えられて日本独自の刃物として発展した」と記述されていることがあるが、それはアイヌのマキリが本来のマキリよりもはるかに有名になっているためであり、情報の混乱が見られる。
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