ポルタ・ヌォヴァ・ファミリーのボス
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「ジュゼッペ・カロ」の記事における「ポルタ・ヌォヴァ・ファミリーのボス」の解説
パレルモで生まれ育った。23歳の時、父の仇を討つ為の殺人を犯したあと、ポルタ・ヌォヴァ・ファミリーに加わった。1969年には、彼は組織のボスとなり、彼の部下の中には将来政府への情報提供者(pentito)となるトンマーゾ・ブシェッタが含まれていた。 また、カロは、話し合いを解決し、互いの関係を円滑にする為にシチリアの有力なボス達と知り合い、シチリアのマフィア・コミッションの一員となった。1970年代初めにカロは、ローマに転居し、そこで骨董品のディーラーのマリオ・アリアローロという偽の肩書きを使用し、不動産投資や多くのマフィア・ファミリーが儲けた巨額の金を洗浄していた。また、地元の犯罪組織バンダ・デッラ・マリアーナやネオ・ファシスト・グループそしてイタリアの情報部部員らと共通の利害関係のある者達と緊密なつながりを確立した。 1980年代初期の第2次マフィア戦争において彼はサルヴァトーレ・リイナらコルレオーネ派(Corleonesi)を支持した。元々はステファノ・ボンターテと親しかったが、リイナが力をつけたためそちら側についたという。 1980年代に64件の殺人事件、麻薬密輸罪、その他136件の犯罪で起訴される。 当時カロはマフィアとカモッラの連絡係的存在でもあった。右翼のテロ組織にも加担していたという。彼は1984年12月23日、フィレンツェとボローニャ間を走る急行列車904号の爆破を手配し、その結果、16人の死者と約200人の負傷者をだした。この策略は、ブシェッタを含む情報提供者のマフィアに関する様々な暴露から注意を逸らす為であった。 カロと彼の手下達は強硬手段を取るため、ネオ・ファシストのテロリストに加わった。
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