ボーンフィッシュの最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 00:24 UTC 版)
「ボーンフィッシュ (SS-223)」の記事における「ボーンフィッシュの最期」の解説
6月19日、能登半島松波に面する七尾湾で輸送船坤山丸(興国汽船、5,488トン)がボーンフィッシュの雷撃により撃沈された。この時、近くの富山湾では海防艦沖縄と第207号海防艦、第63号海防艦の3隻の海防艦で編成されていた第三十一海防隊が訓練を実施していたが、「商船(坤山丸)一隻敵潜雷撃を受け七尾沖にて沈没」の報を受けて現場に急行。坤山丸の生存者を発見することは出来なかった。しかしその時、沖縄の三式水中探信儀が潜水艦の強いエコーを捉えた。沖縄は爆雷の爆発深度を90メートルと120メートルに設定し攻撃を開始。第207号、第63号がこれに続き、近くを航行中だった2隻の海防艦、第75号海防艦と第158号海防艦も応援に駆けつけ爆雷攻撃を実施した。それらによる集中攻撃の結果エコーが消滅し、翌日にはその場にはコルク片や重油の帯が流出していた。これがボーンフィッシュの最期であると考えられる。ボーンフィッシュの沈没位置は、アメリカ側記録では北緯37度18分 東経137度55分 / 北緯37.300度 東経137.917度 / 37.300; 137.917となっている。ボーンフィッシュを撃沈した5隻の海防艦は舞鶴鎮守府司令長官田結穣中将から以下のような感状を授与された。 第二〇七、第六三、第七五、第一五八海防艦及沖縄ガ六月十九日緊密ナル連絡ノ下ニ七尾沖ニ於テ敵潜水艦ヲヨク捕捉シ適確ナル攻撃ヲ加ヘ確実ニ之ヲ撃沈本府担任海面ニ於ケル初ノ戦果ヲ挙ゲタルハ大ニ可ナリ ボーンフィッシュは第二次世界大戦の戦功で7個の従軍星章を受章した。また第1、第3、4、5、6回目の哨戒の功績で海軍殊勲部隊章を受章している。なお、ボーンフィッシュの撃沈に貢献した殊勲の5隻の海防艦は、沖縄が1945年7月30日、舞鶴にて空襲を受け大破着底した以外はすべて無事に終戦を迎えた。
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