ホークス本拠地時代
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1988年9月、南海ホークスがダイエーに譲渡され、本拠地を大阪球場から本球場に移転。10年ぶりにプロ野球の本拠地球場となった。これに伴い使命を終えた平和台野球株式会社は解散している。 1990年、バックスクリーンの左に当時としては破格の大きさだった大型映像装置「ホークスビジョン」(SONY製・ジャンボトロン)を設置したが、スコアボードは手動のままであった。 1987年末、「古代アジアの玄関口」とされる鴻臚館(こうろかん)遺跡が球場の改修工事中に発見されたため、遺跡の発掘を進めるとともに同所を歴史公園として再整備することが計画されており、ダイエーも本球場に代わり中央区地行の埋立地に福岡ドームの建設を進めていた為、プロ野球の公式戦は福岡ドーム完成前年の1992年を最後に終了した。プロ野球公式戦最終試合は10月1日のダイエー対近鉄戦で、ダイエーのルーキー・若田部健一が近鉄の野茂英雄との投手戦を1対0で制し、10勝目を挙げた。 本球場は福岡ドームの完成後もしばらくは残され、全国高等学校野球選手権福岡大会などのアマチュア野球の公式戦や、ダイエーの二軍戦などで使用されたが、1997年、老朽化及び歴史公園整備の本格着手に伴い完全閉鎖された。同年11月24日にお別れイベント「さよなら平和台」が開催され、ダイエー対オリックスの非公式戦や、西鉄OB対福岡市民代表チームの試合などが行われた。これを以て約半世紀にわたって九州の野球界を牽引してきた球場の歴史に幕が下りた。 2019年3月にイチローが現役を引退したため、当球場の公式戦でのプレーを経験したプロ野球選手は一人もいなくなった。なお、イチローの一軍戦初出場および初安打は共に当球場であった。
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