ホッケー歴
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1964年のNHLドラフト(英語版)全体14位でボストン・ブルーインズから指名された。しかし、ブルーインズに加入する道を選ばず、コーネル大学で学士取得を目指す傍ら1969年の卒業まで同校でアイスホッケーを続けた。 6フィート4インチの長身と長いリーチを生かし、コーネル大学を1967年のNCAA優勝と3年連続のECACトーナメント優勝に導いた。このことから、カレッジアイスホッケー史上最高のゴールテンダーであると評価する声もある。 1964年6月にNHLでのプレー経験のなかったガイ・アレン(Guy Allen)とポール・リード(Paul Reid)を交換選手として、ブルーインズからモントリオール・カナディアンズにトレードされた。1969年にコーネル大学を卒業してからは、AHLのモントリオール・ボエジャース(Montreal Voyageurs)で足慣らしをした後、 1971年3月にNHLデビューを飾り、1970年代カナディアンズの6度のスタンレー・カップ優勝の原動力として活躍した。史上屈指のゴーリーとして高く評価されたが、1970年から1979年まで(途中の1973-1974シーズンは就学のためにプレーしなかった)わずか8シーズン(厳密には、初年度は6試合にしか出場していないことから、実質的にフルシーズン出場したのは7シーズン)で、マギル大学で法学を修めるためにプロ生活を引退した。1983年にはホッケーの殿堂入りを果している。 余りに早く引退してしまったために、他の歴史に残るゴールテンダー達と比べると、残された記録の総合的な数値は劣る。しかし、その活躍した時代はちょうどカナディアンズの黄金期であったことも手伝って、例えば、一試合平均失点2.24点、397試合出場でわずか57敗しかせず、また258勝のうち46試合がシャットアウト勝ちなど驚くべき成績も残されている。 2007年1月29日、ドライデンの着用していた背番号29がモントリオール・カナディアンズの永久欠番に指定された。
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