ベルギー、フランス再訪とは? わかりやすく解説

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ベルギー、フランス再訪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 23:27 UTC 版)

皇太子裕仁親王の欧州訪問」の記事における「ベルギー、フランス再訪」の解説

6月20日裕仁親王らを乗せたオランダ王室特別列車は、オランダ・ベルギー国境のエスケム駅に到着したその後鉄道ルーヴェン向かい大司教他の歓迎受けたその後リエージュ訪れリエージュの戦い戦跡訪れた午後5時半にはフランス国境に到着した6月21日にはパリの地下鉄乗車しパレ・ロワイヤル駅(現在のパレ・ロワイヤル=ミュゼ・デュ・ルーヴル駅)からジョルジュ・サンク駅の四区間地下鉄移動した6月22日午前裕仁親王らはセーヴル焼工房訪れた。夜からはペタン元帥案内により、ストラスブールメスヴェルダン戦跡訪れるためアルザス=ロレーヌ向かった6月23日午前ストラスブール到着しペタン元帥とともに同地駐屯兵の閲兵行ったストラスブール大学見学小舟ライン川下りの後、夕刻ストラスブール出発し、夜9時半メス到着した6月25日早朝にはメス出発しヴェルダンの戦い戦跡訪れた。かつてこの地で戦ったペタン元帥説明は、極めて詳細にわたるものであった裕仁親王銃撃され鉄カブトをながめ「戦争というものは、じつにひどいものだ。可哀想だね」と涙ぐんでつぶやいたという。同日夜にパリ戻り、在仏日大使館誕生日迎えた節子皇后と弟淳宮秩父宮雍仁親王の健康を祈る小宴開いた6月28日午前には国際度量衡局午後3時からはソルボンヌ大学訪れた学内見学した後、礼拝堂にある学生戦死者の墓に献花し午後4時には帰還した。また同日には、スペイン国王アルフォンソ13世面会している。 6月29日にはソンム訪れソンムの戦い戦跡と、戦禍にあった市民の姿を目の当たりにした。裕仁親王案内役のルイ・フランシェ・デスペレー(英語版大将に「この光景は、いまなお戦争賛美するものがかならず訪れるべきものである」と告げた裕仁親王は二荒伯爵に対してソンム戦災住民のために1万フラン下賜するよう命じたその後パリでは下水道サン・シール陸軍士官学校ソミュール騎兵学校フランス語版)、シャンパン工場などを訪れた7月6日裕仁親王エリゼ宮において大統領別れ挨拶行った7月7日午前8時50分、裕仁親王一行乗せた特別列車大統領首相代行閣僚各国大使ペタン元帥らに見送られパリ出発マルセイユのサン・シャルルを経由しトゥーロン軍港到着同日中に一行艦隊出港しイタリア向かった

※この「ベルギー、フランス再訪」の解説は、「皇太子裕仁親王の欧州訪問」の解説の一部です。
「ベルギー、フランス再訪」を含む「皇太子裕仁親王の欧州訪問」の記事については、「皇太子裕仁親王の欧州訪問」の概要を参照ください。

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