ベルギー、フランス再訪
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「皇太子裕仁親王の欧州訪問」の記事における「ベルギー、フランス再訪」の解説
6月20日、裕仁親王らを乗せたオランダ王室の特別列車は、オランダ・ベルギー国境のエスケム駅に到着した。その後鉄道でルーヴェンに向かい、大司教他の歓迎を受けた。その後リエージュを訪れ、リエージュの戦いの戦跡を訪れた。午後5時半にはフランス国境に到着した。 6月21日にはパリの地下鉄に乗車し、パレ・ロワイヤル駅(現在のパレ・ロワイヤル=ミュゼ・デュ・ルーヴル駅)からジョルジュ・サンク駅の四区間を地下鉄で移動した。 6月22日午前、裕仁親王らはセーヴル焼の工房を訪れた。夜からはペタン元帥の案内により、ストラスブール、メス、ヴェルダンの戦跡を訪れるためアルザス=ロレーヌへ向かった。6月23日午前にストラスブールに到着し、ペタン元帥とともに同地駐屯兵の閲兵を行った。ストラスブール大学見学や小舟でライン川下りの後、夕刻にストラスブールを出発し、夜9時半にメスに到着した。 6月25日早朝にはメスを出発し、ヴェルダンの戦いの戦跡を訪れた。かつてこの地で戦ったペタン元帥の説明は、極めて詳細にわたるものであった。裕仁親王は銃撃された鉄カブトをながめ「戦争というものは、じつにひどいものだ。可哀想だね」と涙ぐんでつぶやいたという。同日夜にはパリに戻り、在仏日本大使館で誕生日を迎えた母節子皇后と弟淳宮(秩父宮)雍仁親王の健康を祈る小宴を開いた。 6月28日午前には国際度量衡局、午後3時からはソルボンヌ大学を訪れた。学内を見学した後、礼拝堂にある学生戦死者の墓に献花し、午後4時には帰還した。また同日には、スペイン国王アルフォンソ13世と面会している。 6月29日にはソンムを訪れ、ソンムの戦いの戦跡と、戦禍にあった市民の姿を目の当たりにした。裕仁親王は案内役のルイ・フランシェ・デスペレー(英語版)大将に「この光景は、いまなお戦争を賛美するものがかならず訪れるべきものである」と告げた。裕仁親王は二荒伯爵に対して、ソンムの戦災住民のために1万フランを下賜するよう命じた。 その後パリでは下水道、サン・シール陸軍士官学校、ソミュール騎兵学校(フランス語版)、シャンパン工場などを訪れた。 7月6日、裕仁親王はエリゼ宮において大統領に別れの挨拶を行った。7月7日午前8時50分、裕仁親王一行を乗せた特別列車は大統領や首相の代行、閣僚、各国大使、ペタン元帥らに見送られ、パリを出発。マルセイユのサン・シャルルを経由し、トゥーロンの軍港に到着。同日中に一行は艦隊で出港し、イタリアに向かった。
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