プール地方の反乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/17 21:41 UTC 版)
「ニンジャ (コンゴ共和国)」の記事における「プール地方の反乱」の解説
2002年および2003年、政府軍とニンジャとの間に激しい戦闘が行われ、多くの犠牲が出た。2003年3月、ニンジャの指導者コレラはプールにて、政府との停戦に合意した。もっとも、ニンジャ兵の一部は停戦に納得せず、略奪や列車乗っ取り事件を起こしている。 コレラが影響力を失った後、ニンジャを率いたのは、ニンジャの野戦軍司令官フレデリック・ビツァング(英語版)だった。彼はプロテスタントの牧師でもあり、ントゥミ牧師と通称される。2003年にントゥミはマスコミに対し「組織を復活させるよう聖霊からの啓示を受けた」と語っている。ニンジャ兵は紫色のものを身につけるが、これは苦しみを象徴しているという。また、髪はドレッドであり、これは「頭髪を剃ってはいけない」という聖書の記述に基づいており、世界の終末を信じている者も多かった。IRINの2002年の報告によれば、真にニンジャ兵と呼べるのは司令官ントゥミに従う数百であり、それに加えて不熱心な参加者が3千ほどであるとされている。 2007年6月、ントゥミは、プール地方に平和をもたらすため、政府に対する反対運動を、武装放棄して建設的なものに転換すると発表し、プール地方の行政中心都市キンカラ(英語版)にて、所持する100近い武器の焼却を行った。9月、政府はントゥミに対して公職を用意したが、ントゥミは断っている。 2008年6月10日、ニンジャ兵に対して武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)プログラムも実施された。そしてントゥミ牧師はキンカラにて、ニンジャの解散を発表した。2009年12月、ントゥミ牧師は首都ブラザヴィルに行き、2007年5月に打診されていた平和復興担当職に就いた。 なお、2009年時点においても、元ニンジャ兵の一部がプール地方南部で活動している。2011年にも、プール地方でたびたび元ニンジャ兵による襲撃事件が報告されている。
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