プロ野球入団前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 02:08 UTC 版)
「グレン・デービス (野球)」の記事における「プロ野球入団前」の解説
1961年3月28日、フロリダ州ジャクソンビルに生まれる。父親のジーン・デービスはマイナーリーグで10年間プレーした元プロ野球選手だったが、短気な性格と酒癖の悪さが災いして大成することはなかった。またこれが原因となって夫婦仲は悪化、グレンが6歳の時に両親は離婚し、2人の姉と共に母親の下で育てられることになった。 厳格なキリスト教徒だった母親は息子を伝道師にしようと考え、父親と会うことを禁じ、野球からも引き離そうとした。また、しつけと称して毎日のように息子を殴打した。荒んだ環境で育ったグレンはやがて不良少年となり、誰彼構わず喧嘩を仕掛けて周囲から恐れられる一方で、絶えず湧き上がる自殺願望に苦しめられるという暗い少年時代を過ごした。 地元のユニバーシティ・クリスチャン高校 (en) に進学後、野球部のチームメイトであるストーム・デービス(英語版)(姓は同じだが血縁関係はない)の友人となったことで転機を迎える。ストームの父親で野球部のコーチを務めていたジョージとその妻ノーマは、グレンの置かれた環境を知って彼のことを気にかけるようになり、しばしば自宅に招いて実の両親であるかのように優しく接し、またグレンの実母が野球を取り上げようとするのを阻止した。グレンも彼らに心を開くようになり、法律上の正式な養子縁組は結ばなかったものの、実質的にはジョージ一家の一員となった。 クリスチャン高校は州大会を2連覇し、1979年のドラフトでストームは7巡目、グレンは31巡目で、いずれも投手としてボルチモア・オリオールズの指名を受けた。ストームはそのままプロ入りしたが、グレンは投手ではなく野手としての指名を望んでおり、ジョージの勧めもあってジョージア大学に進学した。早期のドラフト指名を得るため、翌年にはマナティー短期大学 (en) に編入し、1981年の2次ドラフト1巡目(全体の5番目)で野手としてヒューストン・アストロズの指名を受け、プロ入りを果たした。
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