プロ野球入り前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 16:51 UTC 版)
横浜高校では1年生からベンチ入りを果たし、第75回選抜に左翼手で出場し準優勝。第86回全国選手権では、対京都外大西戦の6回に三塁打を放ちヘッドスライディングした際に三塁手と交錯し、首などを強打し左肩を捻挫する。一時は意識を失い担架で運ばれるも、その後意識を取り戻し強行出場した。スコア0対0の9回には自身のエラーをきっかけに満塁のピンチを迎えるが、涌井秀章が三振で抑えると、10回には涌井が招いたピンチをファインプレーで助け、チームは11回に1対0でサヨナラ勝ちを決めた。同大会では、14打数10安打と活躍、ベスト8に進出した。その後台湾で開催された第21回AAA世界野球選手権大会の日本代表に選ばれる。高校の同級生に涌井秀章、1年先輩に成瀬善久、荒波翔、2年後輩に福田永将、佐藤賢治、下水流昂がいる。 2004年のNPBドラフト会議で、横浜ベイスターズから6巡目で指名。契約金3000万円、年俸460万円(金額は推定)という条件で入団した。入団時の背番号は52。
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