プロデューサー名としてのシブサワ・コウ
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「シブサワ・コウ」の記事における「プロデューサー名としてのシブサワ・コウ」の解説
シブサワ・コウの名義は、東映の八手三郎、オフィス・ヘンミの葉村彰子、東映アニメーションの東堂いづみ、サンライズの矢立肇などと同様に、コーエー製作のゲームに共通してクレジットされる開発チーム全体を表すプロデューサー名である。この方式を提案したのは当時専務であった襟川恵子で、「イヴ・サンローランやセリーヌ、ディオールなどの著名な企業は、自分のファッションデザイナーとしての名前やブランド名を持って、ブランド名を前面に打ち出してビジネスを展開している」「開発したゲームソフトに責任を持つ」という意味合いから、1983年の『信長の野望』にてはじめて名乗られた。 元々は、各タイトルの開発チーム(プロデューサー)を指していたため、雑誌や出版物の記事では、毎回別人がインタビューに答えていた。シブサワの経歴についても当初は「謎に包まれている」「余り表面に出ない」としていた。その後、光栄の創業者である襟川陽一が会長職を妻である襟川恵子に譲り、作品の開発に専念するようになると、2000年にPlayStation 2用ゲームソフト『決戦』発表時に、改めて襟川陽一個人のペンネームとされた。もっとも襟川が直接開発に参加していないタイトルにも、総合プロデューサーとして変わらずシブサワ・コウの名はクレジットされている。 由来は襟川陽一が尊敬する渋沢栄一から「シブサワ」+コーエーの旧社名・光栄の光から「コウ」、とされている。また、身長は185cmとされてきたが、これは襟川陽一の実際の身長である。「「シブサワ・コウ」というプロデューサー名を付けたことは非常によかったですね。「襟川陽一」は知らなくても「シブサワ・コウ」は知っているというゲームファンの方も少なくありません。」「私の近い将来の夢は、経営者・襟川陽一の座を降りて、100%、シブサワ・コウとしてゲームを作り続けることです。」と襟川陽一は述べる。
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