フェレール監督の下での成功とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:27 UTC 版)
「レアル・ベティス」の記事における「フェレール監督の下での成功とその後」の解説
その後も3シーズンをセグンダ・ディビシオンで過ごし、ロレンソ・セラ・フェレール監督に率いられた1993-94シーズン終了後にプリメーラ・ディビシオンに復帰した。1994-95シーズンは昇格組ながら3位となり、翌シーズンのUEFAカップの出場権を獲得した。UEFAカップではフェネルバフチェSK(トルコ)に2試合合計4-1、1.FCカイザースラウテルン(ドイツ)に2試合合計4-1で勝利したが、準優勝したFCジロンダン・ボルドー(フランス)に2試合合計2-3で敗れた。コパ・デル・レイ初優勝から20年後の1996-97シーズンには、優勝以来初めて決勝に進出した。決勝は20年前と同じくマドリードで行われたが、今回はビセンテ・カルデロンではなくエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われた。バルセロナとの試合は延長戦にもつれ込んだが、結局2-3で敗れて準優勝に終わった。1997年夏、偶然にもフェレール監督はバルセロナ監督に就任し、後任監督には選手としてベティスでプレーした経験があるルイス・アラゴネスが就任した。アラゴネス監督は結局1997-98シーズンを指揮しただけでチームを去ったが、リーグ戦では8位となり、UEFAカップウィナーズカップではベスト8となった。準々決勝まで勝ち進んだが、チェルシーFC(イングランド)に2試合合計2-5で敗れた。 1998年にはハビエル・クレメンテ監督が就任したが、ファンと口論になった際にアンダルシアのことを「異国」とほのめかしたことで論争を呼んだ。1998-99シーズンは順位表を滑り落ちて11位となり、UEFAカップでは3回戦でボローニャFC(イタリア)に敗れた。続く2シーズンは何人もの監督が指揮を執り、いったんはセグンダ・ディビシオンに降格したが1シーズンで再び昇格を果たした。昇格1年目の2001-02シーズンにはフアンデ・ラモス監督の下で落ち着きを取り戻し、6位でシーズンを終えた。ラモス監督は1年でチームを去り、かつてレアル・サラゴサでUEFAカップウィナーズカップを勝ち取ったビクトル・フェルナンデス監督が就任した。フェルナンデス監督が指揮した2シーズンの成績は、2002-03シーズンのリーグ戦では8位、2003-04シーズンのリーグ戦では9位であり、前者のシーズンに出場したUEFAカップでは3回戦でAJオセール(フランス)に2試合合計1-2で敗れた。2004年には再びフェレール監督が就任し、2004-05シーズンはチームを4位に導いた。同シーズンのコパ・デル・レイでは決勝に進出し、ビセンテ・カルデロンで行われたCAオサスナとの決勝は延長にもつれ込んだが、下部組織出身のダニの決勝点で2-1と勝利し、28シーズンぶり2回目の優勝を果たした。2005-06シーズンにはアンダルシア州に本拠地を置くクラブとして初めてUEFAチャンピオンズリーグに出場し、予選でASモナコ(モナコ)を2試合合計3-2で破って本選グループリーグに出場した。グループリーグではホームでチェルシーから勝利を挙げたが、結局グループ3位となってUEFAカップに回った。UEFAカップではラウンド16でFCステアウア・ブカレスト(ルーマニア)に2試合合計0-3で敗れた。
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