フィクションとサイボーグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 13:14 UTC 版)
「サイボーグ」の記事における「フィクションとサイボーグ」の解説
フィクション作品(サイエンス・フィクション)ではしばしば好まれて用いられる概念のひとつであるが、日本では1970年代に入るまで、その概念は広く浸透していなかった。 SF作家の平井和正と豊田有恒が『エイトマン』(1963年)のシナリオを巡り、作中にサイボーグを登場させるか否かでつかみ合いの喧嘩になりかけた時、側でおろおろしているスタッフのメモ書きに「細胞具」と書かれたのを目にして脱力し、喧嘩が収まったとのエピソードがあるほどで、その後『サイボーグ009』や『仮面ライダー』シリーズ(特に1970年代から1980年代にかけての作品群)などで、ようやくサイボーグの概念が世間一般に広く浸透したといえる。 人間としてのアイデンティティを持った改造人間が殆どである。しかし、欧米では、『ターミネーター』など生体の一部を単純な部品として使用したアンドロイドというようなキャラクターもサイボーグとして存在している。 こういったフィクション作品では、単に「超人」を登場させるための理由付けである場合も多いが、「人間性の喪失」のほか「最新技術と人間の調和」という現代的な文学的・社会的テーマを「人間なのか、機械なのか」という極端な形で提示できることから、物語の主要テーマに関わる形で取り扱われることもまた多い。 ただ前述のロボコップも作中では「死亡した人間の臓器の一部を流用したロボット(人権を持たない装置)」として、またターミネーターも『ターミネーター2』で学習により人間らしさを獲得していく途上が描かれるなど、この境界が持つ曖昧性を作中のエッセンスとして強調する作品も見られる。
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