パトリツィアによるたくらみとグッチ一族の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:54 UTC 版)
「グッチ」の記事における「パトリツィアによるたくらみとグッチ一族の崩壊」の解説
1970年代後半にパオロの従兄弟にあたるマウリツィオ・グッチ(グッチオの五男ロドルフォの一人息子)に、トラック会社の娘のパトリツィア・レッジアーニ(Patrizia Reggiani)という女が接近し、誘惑した。マウリツィオの父親ロドルフォがいつか死ねば、ロドルフォの財産をマウリツィオが相続することを見込んで色仕掛けで近づいたと言われる。 ロドルフォは、一人息子を誘惑している女のパトリツィアの考えを見抜いて結婚に猛反対したものの、パトリツィアは誘惑しつづけ、結局父親の反対を押し切って2人は結婚することになり、ロドルフォは一人息子を女に奪われた形になった。 やがてロドルフォが死去し、ロドルフォが持っていたグッチの株式がマウリツィオに相続されると、パトリツィアは夫にグッチを支配するようにそそのかし、それに乗ってマウリツィオはアルドの息子たちのひとりの所有する株式を買い取り、全株式の50%以上を所有し、恩人であったはずのアルドを経営の座から追放した。代わりに、あまり経営の才能があるとは言えないマウリツィオが代表権を持つようになった。さらにマウリツィオの下でライセンス品が蔓延り、ライターやスリッパ、タオルまで販売された。 2代目パオロ・グッチの死去に伴い、マウリツィオはパオロの子たちに連衡策を働きかけ、結果的にグッチの株式を独占することになった。当初の野望を成し遂げた形になったパトリツィアは、グッチの女帝のように振る舞い始めた。例えば、デザインの才能もないのに、自分のオリジナルデザインのバッグを作らせたりした。しかし、パトリツィアがデザインしたバッグはほとんど売れず、パトリツィアの野望どおりには事が進まなくなりはじめた。 マウリツィオは妻パトリツィアが自分と結婚したのは自分への愛というより、財産やグッチそのものが目当てであったことにようやく気づき、パトリツィアに嫌気がさして別居、愛を求めて別の女性と暮らすようになった。また、経営の才があるとは言いがたいマウリツィオが経営した会社の売上は、1980年代後半から1990年代前半にかけて年々低下。やがてマウリツィオは中東資本にブランドを売ることになり、グッチ家は経営から締め出された。ただ、マウリツィオにはまだ多額の財産があった。
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