パシフィック (F1)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > パシフィック (F1)の意味・解説 

パシフィック・レーシング

(パシフィック (F1) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/04 13:49 UTC 版)

パシフィック
活動拠点 ノーフォーク州セットフォード英語版[1]
創設者 キース・ウィギンス英語版
スタッフ イアン・ドーソン
ポール・ブラウン
参戦年度 1994 - 1995
出走回数 33 (22スタート)
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 0
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1994年ブラジルGP
初勝利 -
最終勝利 -
最終戦 1995年オーストラリアGP
テンプレートを表示

パシフィック・レーシングPacific Racing)は、かつて存在したイギリスのレーシングチーム。1994年から1995年にかけてF1世界選手権に参戦した。オーナーはキース・ウィギンス英語版

歴史

国際F3000でクルサードがドライブしたレイナード93D・DFV

パシフィック・レーシングは1980年代よりフォーミュラ・フォードイギリスF3選手権国際F3000選手権などに参戦し、J.J.レートデビッド・クルサードエディー・アーバインなどのドライバーを輩出してきた。1991年にはクリスチャン・フィッティパルディを擁して国際F3000選手権を制覇し、F1へのステップアップを図った。

当初、1993年1月に同年開幕戦からのF1参戦表明がされ、元シェブロン・カーズ英語版ザクスピードのデザイナーを歴任したポール・ブラウンがPR01のデザインを担当し、エンジンはマーダーチューンのイルモアV10の使用、ドライバーにはミハエル・バルテルスと契約が完了しており、もう1人にはジャン=マルク・グーノンを希望していると表明していたが[2]、資金が充分に集められなかったため参戦を1年見合わせた。

1994年

1994年、「パシフィック・グランプリ」としてF1に初参戦した。レースドライバーはベルトラン・ガショーポール・ベルモンド、テストドライバーにオリバー・ギャビン。シャシーは1991年にレイナードがF1参戦を狙った際にロリー・バーンパット・シモンズが設計したものを譲り受け、ポール・ブラウンがPR01へと改良。これにイルモアザウバーが昨年の前半に使用していた型落ちのV10エンジンを搭載した。当時のイルモアはメルセデスの出資を受けザウバーとワークス契約を結んでいたため、パシフィックにはほぼ技術的サポートはされなかった。

パシフィックPR01
パシフィック・PR01をドライブするベルトラン・ガショー

当時はまだ珍しいほうの部類だったベネトン型の、フロントウイングを吊り下げるノーズを持つ特徴的なマシンではあったが、3年前の設計のシャシーとイルモアの型落ちエンジンのマシンは競争力に欠け、2台そろって決勝に出場したのはカール・ヴェンドリンガーのクラッシュでザウバーが欠場したモナコGPシムテックアンドレア・モンテルミーニがクラッシュしたスペインGPのみだった。ベルモンドが予選を通過したのはこの2回だけ、ガショーも決勝進出は5回だけだった。第7戦フランスGP以降は、資金難でマシン開発が停止した影響で2台とも予選通過できず、結局完走は無しに終わった。

1994年は重大事故が相次いだため、シーズン中にも次々とレギュレーション変更が実行され、元々準備不足であるチームをさらに苦しめた。特に第4戦スペインGPでは、ディフューザーのサイズ縮小、フロントウィングの最低地上高変更、ボーテックスジェネレーターの禁止などがレースウィークに急遽決まるなど、チームはピットでの改修作業を余儀なくされた。

1995年

パシフィックPR02

1995年は状況を打開すべく、破綻したロータスの名称権を買収して「パシフィック・チーム・ロータス」として参戦した。日本の東急グループを率いる五島ファミリーが資本参加し、東京に「パシフィック・アクセス」なる事務所を設立してアジアのスポンサー獲得に動いた[注 1]。また、ガショーも自己資金を投入して共同オーナーになるなど体制強化を図ったが、相変わらずの資金難が続いた。

ドライバーラインナップはアンドレア・モンテルミーニペドロ・ラミーに決定し、ガショーは共同オーナーとしてマネージメントに専念する意向で、開幕前には「今はチームのマネージメントに全力を注ぐことがボクのモチベーション」と語っていた。しかし、開幕直前になってラミーがティレルとの二重契約未遂でシートを失い、結局スポンサーを持ち込めるドライバーが見つからなかったため、序盤戦と終盤戦ではガショーが自らステアリングを握ることとなった。マシンはフランク・コパックによる吊り下げウイングを廃止したオリジナルシャシーに、フォードEDエンジンを搭載したPR02を登場させた。

参戦台数の減少により予選落ちがなくなり、全戦で2台揃って決勝に進んだ。開幕戦でモンテルミニが完走するなど、前年からある程度の進化は見せたが入賞はできず、シーズン途中ではガショーに代わってスポンサーマネーを持ち込んだジョバンニ・ラバッジジャン=デニス・デレトラズの資金で参戦を継続し、パシフィックGP1995年日本GPでは日本の若手有望株の一人であった山本勝巳を起用しようとするも、スーパーライセンスは発給されず断念した[3]。第9戦ドイツGPのモンテルミーニと最終戦オーストラリアGPでガショーが8位で完走したのが最高成績で、結局この年いっぱいでF1を撤退した。

その後

F1撤退後、パシフィックは1996年から1997年まで国際F3000に参戦し、クリスチアーノ・ダ・マッタマルク・ジェネがドライブした。

1997年から1998年にかけてはBRMニッサンのマシンでインターナショナル・スポーツカー・レーシング・シリーズ (ISRS) に参戦。ル・マン24時間レースにも挑戦した。

変遷表

F1

エントリー名 車体型番 タイヤ エンジン 油脂 ドライバー ポイント 順位 優勝
1994年 パシフィック・グランプリ PR01 G イルモア 2175A (V10) エルフ ポール・ベルモンド
ベルトラン・ガショー
0 NC 0
1995年 パシフィック・グランプリ PR02 G フォードED (V8) エルフ ベルトラン・ガショー
ジョバンニ・ラバッジ
ジャン=デニス・ドゥレトラーズ
アンドレア・モンテルミーニ
0 NC 0
  • 斜体はスポット参戦したドライバー

脚注

注釈
  1. ^ 伊藤園などが交渉に応じ、スポンサーに付いていた。
出典
  1. ^ PACIFIC 1994F1総集編 AS+F 84-85頁 三栄書房 1994年12月14日発行
  2. ^ NEWS form EUROPE パシフィック・レーシングF1参戦発表 F1速報 32頁 1993年2月12日発行
  3. ^ 「F1グランプリ特集12月号」 vol.78 、p.19、ソニーマガジンズ、1995年。

関連項目


「パシフィック (F1)」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「パシフィック (F1)」の関連用語

パシフィック (F1)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



パシフィック (F1)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのパシフィック・レーシング (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS