バディ・カーライルとは? わかりやすく解説

バディ・カーライル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 15:41 UTC 版)

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バディ・カーライル
Buddy Carlyle
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ネブラスカ州オマハ
生年月日 (1977-12-21) 1977年12月21日(43歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト2巡目(全体38位)でシンシナティ・レッズから指名
初出場 MLB / 1999年8月29日
NPB / 2001年4月6日
KBO / 2006年
最終出場 MLB / 2009年9月3日
NPB / 2010年8月25日
KBO / 2006年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • アトランタ・ブレーブス (2016)

アール・レスター・カーライルEarl Lester "Buddy" Carlyle , 1977年12月21日 - )は、アメリカ合衆国ネブラスカ州オマハ出身の元プロ野球選手投手)。右投左打。

経歴

プロ入りとパドレス時代

1996年MLBドラフト2巡目(全体38位)でシンシナティ・レッズに指名され、7月21日に契約。

1998年4月8日トレードサンディエゴ・パドレスに移籍し、翌1999年8月29日ミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。シーズン終盤にメジャー初白星を挙げる。

阪神時代

2000年11月3日阪神タイガースに入団。1年目の2001年は7勝10敗と負け越し、防御率3.87はリーグ14位だった。2年目の2002年は調子を落とし更にマーク・バルデストレイ・ムーアが活躍しシーズンの大半を二軍暮らしになってしまった。結局、シーズン未勝利に終わり(2敗)、防御率も7.53と大きく悪化し、同年オフに解雇。

LG時代まで

2002年12月18日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだが、メジャーでの出場はなく、2003年10月15日FAとなった。同年12月23日ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。2004年はマイナーリーグで12勝5敗・防御率3.19と好投したが、メジャー昇格はならず、FAとなった。11月18日ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。2005年中継ぎとしてメジャー昇格も果たすが結果が出ず、すぐにマイナー降格。5月4日に放出された。12月15日フロリダ・マーリンズと契約した。

2006年5月18日に放出され、翌日19日に、故障により退団したマニー・アイバーの代役として韓国プロ野球(KBO)LGツインズと契約。

ブレーブス時代

2006年12月4日アトランタ・ブレーブスと契約。2007年6月7日に先発として登板し、7年269日ぶりのメジャーでの勝ち星を挙げる。しかしチームの中継ぎの事情により、その日のうちにマイナー降格という憂き目に遭った。また、7月6日のパドレス戦の4回、メジャー史上39回目の「1イニング三者3球三振」を記録。

2008年は45試合に登板してまずまずの成績を残すも、2009年は打ち込まれることが多く不本意な成績に終わる。10月9日にFAとなった。

日本ハム時代

2009年11月17日北海道日本ハムファイターズとの契約に合意した旨が日本ハム球団から発表された。

2010年は、開幕一軍、先発ローテーションを任されたが、間もなく二軍落ち。監督、コーチからも捕手のサインに首を横に振ることが多かったことから「ストレート、速球に頼りすぎ」の評価を受けた。結局、7試合に登板(そのうち4試合は先発)し、開幕ローテーション入りも果たしたが1勝も挙げられずに9月30日に退団が決まった[1]

ヤンキース復帰

2010年12月2日ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[2]

2011年4月23日にメジャー昇格。7月5日に傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースに降格し、8月20日に自由契約になった。

ブレーブス復帰

2012年1月30日にブレーブスとマイナー契約を結んだ。11月3日にFAとなった。

ブルージェイズ傘下時代

2012年12月11日トロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。

2013年は、傘下のAAA級バッファロー・バイソンズで開幕を迎えた。11月5日にFAとなった。

メッツ時代

2014年2月18日ニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ[3]。開幕後は傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズで18試合に登板。1勝1敗1セーブ・防御率1.27と好投し、5月31日にメッツとメジャー契約を結んだ[4]。同日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では同点の延長11回裏から3年ぶりのメジャー登板。3回を2安打無失点に抑え、直後の14回表にメッツが勝ち越したため、勝利投手となった[5]。2度目の登板となった6月4日シカゴ・カブス戦では、1.1回を無失点に抑えたが、6月5日DFAとなり、6月7日にAAA級ラスベガスへ降格した。7月6日ジョン・ニースが故障で離脱したため、再びメッツとメジャー契約を結んだ[6]。昇格後は3試合に登板したが、7月20日にDFAとなり[7]7月23日にAAA級ラスベガスへ降格した。7月26日松坂大輔故障者リスト入りしたため、メッツと再びメジャー契約を結んだ[8]。この年は27試合に登板し、1勝1敗、防御率1.45だった。オフの10月31日40人枠を外れ、AAA級ラスベガスへ降格し、11月4日にFAとなった。

2015年1月5日にメッツとマイナー契約で再契約した[9]4月5日にメジャー契約を結び昇格したが、5月14日に背中の痙攣で15日間の故障者入りし[10]7月7日に60日間の故障者リストに移行した[11]。同年は11試合に投げたが、防御率5.63と今一つだった。しかし1勝を挙げたほか、メジャー初セーブもマークした。11月10日にFAとなった[12]

2016年はメッツと再びマイナー契約したが、スプリングトレーニング終盤に解雇された。

現役引退後

2016年5月10日に古巣アトランタ・ブレーブスのコーチ補佐に就任したことが発表され、同時に現役引退を表明した[13]

2017年からはロサンゼルス・エンゼルス傘下AA級モービル・ベイベアーズのコーチに就任し、翌2018年からはエンゼルス傘下マイナー巡回のピッチングコーディネーターを務めている[14]

人物

2009年5月に1型糖尿病を発症したことを明らかにしている。2010年春季キャンプ中、本人の希望で阪神のキャンプ地・宜野座を訪問し、同じく1型糖尿病を発症している岩田稔との対談を行った。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1999 SD 7 7 0 0 0 1 3 0 0 .250 162 37.2 36 7 17 0 2 29 1 0 28 25 5.97 1.41
2000 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 18 3.0 6 0 3 0 0 2 0 0 7 7 21.00 3.00
2001 阪神 28 26 0 0 0 7 10 0 -- .412 652 153.1 151 22 64 2 1 111 2 2 73 66 3.87 1.40
2002 3 3 0 0 0 0 2 0 -- .000 65 14.1 17 1 5 0 1 13 1 0 12 12 7.53 1.53
2005 LAD 10 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 62 14.0 16 4 4 0 1 13 0 0 13 13 8.36 1.43
2006 LG 32 3 0 0 -- 2 6 2 11 .250 215 52.2 45 3 11 2 4 48 0 1 21 19 3.25 1.06
2007 ATL 22 20 0 0 0 8 7 0 0 .533 462 107.0 117 19 32 8 2 74 3 0 67 62 5.21 1.39
2008 45 0 0 0 0 2 0 0 0 1.000 259 62.2 52 5 26 6 1 59 4 1 26 25 3.59 1.24
2009 16 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 107 21.1 35 5 12 4 0 12 2 0 23 21 8.86 2.20
2010 日本ハム 7 4 0 0 0 0 3 0 0 .000 125 27.2 35 2 11 0 1 14 1 1 18 15 4.88 1.67
2011 NYY 8 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 34 7.2 5 1 7 1 0 9 2 0 4 4 4.70 1.56
2014 NYM 27 0 0 0 0 1 1 0 2 .500 119 31.0 23 2 5 0 0 28 0 0 6 5 1.45 0.90
2015 11 0 0 0 0 1 0 1 4 1.000 32 8.0 8 0 1 0 0 6 1 0 5 5 5.63 1.13
MLB:9年 150 27 0 0 0 13 13 0 8 .500 1255 292.1 298 43 107 19 6 232 13 1 179 167 5.14 1.39
NPB:3年 38 33 0 0 0 7 15 0 0 .318 842 195.1 203 25 80 2 3 138 4 3 103 93 4.28 1.45
KBO:1年 32 3 0 0 -- 2 6 2 11 .250 215 52.2 45 3 11 2 4 48 0 1 21 19 3.25 1.06
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号

  • 58 (1999年 - 2000年、2005年)
  • 26 (2001年 - 2002年)
  • 99 (2006年)
  • 38 (2007年 - 2009年)
  • 12 (2010年)
  • 41 (2011年)
  • 44 (2014年)
  • 43 (2015年)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ カーライル選手退団のお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2010年9月30日). 2015年11月11日閲覧。
  2. ^ NEW YORK POST Archived 2010年12月3日, at the Wayback Machine.
  3. ^ Mets sign RHP Buddy Carlyle”. ESPN. 2014年2月18日閲覧。
  4. ^ Anthony DiComo (2014年5月31日). “After swapping Montero for Carlyle, Mets call Eveland”. MLB.com. 2014年6月1日閲覧。
  5. ^ Scores for May 31, 2014”. ESPN MLB (2014年5月31日). 2014年6月1日閲覧。
  6. ^ Mike Axisa (2014年7月6日). “Mets place lefty Jon Niese on 15-day DL with shoulder strain”. CBS Sports. 2014年7月7日閲覧。
  7. ^ Anthony DiComo (2014年7月20日). “Dice-K back to bullpen as Niese returns from DL”. MLB.com. 2014年7月21日閲覧。
  8. ^ Caitlin Swieca (2014年7月26日). “Mets place Dice-K on 15-day DL, recall Carlyle”. MLB.com. 2014年7月27日閲覧。
  9. ^ Mets sign Buddy Carlyle to a minor league contract”. MLB.com Mets Press Release (2015年1月5日). 2015年1月6日閲覧。
  10. ^ Anthony DiComo (2015年5月12日). “Back injury could force Carlyle to disabled list” (英語). MLB.com. http://m.mlb.com/news/article/123987996/back-injury-could-force-mets-relief-pitcher-buddy-carlyle-to-disabled-list 2015年11月11日閲覧。 
  11. ^ Transactions | mets.com” (英語). MLB.com (2015年7月7日). 2015年11月11日閲覧。
  12. ^ Transactions | mets.com” (英語). MLB.com (2015年11月10日). 2015年11月11日閲覧。
  13. ^ “元阪神、日ハムのカーライルが引退 ブレーブスのコーチ補佐に就任 ”. デイリースポーツ. (2016年5月11日). http://www.daily.co.jp/newsflash/mlb/2016/05/11/0009072173.shtml 2016年5月11日閲覧。 
  14. ^ Angels announce 2021 Minor League development staffs”. MLB.com (2021年4月6日). 2021年6月28日閲覧。

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の野球選手 ブロンソン・サルディーニャ  ディーン・ハートグレイブス  バディ・カーライル  アレックス・オチョア  ジム・バーマ
阪神タイガース及びその前身球団の選手 クリス・リーソップ  久保征弘  バディ・カーライル  田淵幸一  山岡洋之
北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 中村豊  白木義一郎  バディ・カーライル  フェリックス・ディアス  石川緑
ロサンゼルス・ドジャース及びブルックリン・ドジャースの選手 ドン・サットン  ブラッド・ペニー  バディ・カーライル  ボブ・オヘーダ  ラビット・モランビル
アトランタ・ブレーブスの選手 マット・チルダース  ディーン・ハートグレイブス  バディ・カーライル  ラビット・モランビル  クリス・ブロック
サンディエゴ・パドレスの選手 朴賛浩  グレッグ・ラロッカ  バディ・カーライル  ブライアン・ファルケンボーグ  ケビン・ジャービス
LGツインズ及びMBC青龍の選手 レス・ウォーランド  朴基南  バディ・カーライル  沈秀昌  李晋暎
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