バックボード破壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:56 UTC 版)
「スラムダンク (バスケットボール)」の記事における「バックボード破壊」の解説
詳細はバックボード粉砕(英語版)を参照。 過去には、プレイヤーがバスケットボールをダンクしてリングを激しく引き下げ、リング周辺にあるバックボードのガラスを叩き割ったり、時にはバックボード全体が粉砕したり、ゴールスタンド自体が壊れてしまう可能性があった。補強されたバックボードと ブレイクアウェイ・リム(英語版)が、大学やプロレベルでこれを最小限に留めているが、依然としてより低いレベルで発生する。 ガス・ジョンソンはNBAで最初に有名になったバックボード破壊者で、1960年代から70年代にかけての現役時代に3度叩き割っている。オールスター選手のルシウス・ジャクソン (英語版)もまた、1968年にバックボードを叩き割った。 「フィラデルフィアの剛健なルーク・ジャクソンが、ダンクショットを行ってバスケットにぶら下がった時にリングを係留部からもぎ取ってガラス製バックボードを叩き割ってしまい、試合が30分近く遅れることになった。」 1979年、ダリル・ドーキンス(英語版)は2回バックボードを叩き割ったため有名(悪い意味で)で、結果としてリーグは彼に罰金を科すと脅し、最終的にはブレイクアウェイ・リムを導入することになった。シャキール・オニールは新人時代(1992-93)の試合中に2回非常に激しいダンクをして、1度はゴールスタンドの水力重りを壊し、別のゴールスタンドでは溶接部を壊してバスケットを床に落下させた、ただしどちらの場合もガラスは割れなかった。これがバックボードの支持体も強化させることにつながった。同じシーズン中にクリス・モリスは対シカゴ・ブルズの試合でバックボードを叩き割った(NBAにおける現時点で最新のバックコード破壊事象)。NBAは、バックボード破壊をテクニカルファウルとした。次回出場停止を引き出すことができるプレイヤーカウントの7回や試合退場の2回にはカウントされないが、パーソナル・ファウル6回にはカウントされる。これは、チームポイントを消費する可能性があるので、同行為を抑止するための手助けとなった。 ABAでは、1970年11月6日にチャーリー・ヘンツ(英語版)が同じ試合で2回バックボードを破壊し、コールドゲーム(その時点で試合打ち切り)となった。NCAAでは、ジェローム・レーン(英語版)が1988年レギュラーシーズンの試合中にバックボードを破壊し、ダーバン・ハム(英語版) は1996年に同じことをした。 プレミア・バスケットボール・リーグ(英語版)(PBL)では、バックボードを破壊されてしまったスラムダンクが2つある。2008年と2009年のどちらもPBL決勝で起きており、両方ともサミー・モンローがやってしまった。
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