ハッサン暫定政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 09:59 UTC 版)
2000年5月、隣国ジブチで和平会議が開催され、実業家や氏族代表らが集まり暫定政府樹立に向けて討議を行った。討議は約3ヶ月にも及んだが、最終的に暫定大統領、暫定首相、暫定議会の発足を約束した。8月には和平会議に基づき暫定議会が発足し、任期3年の暫定大統領に元内相のハッサンが就任、10月にハッサン暫定大統領はガライド元工業相を首相に任命、約10年ぶりに政権が発足した。しかし、アイディード派などの有力氏族およびソマリランドなど独立勢力は暫定政府を「ジブチの傀儡」として承認せず、その後も内戦が続いた。 2001年10月には暫定議会がガライド首相の不信任案を可決し、新首相にファラ水資源・鉱業相が就任した。ファラ首相は2002年2月、武装勢力の代表を初めて入閣させた新内閣を発足させた。暫定政府と対立する有力氏族でつくるソマリア和解再生評議会(SRRC)は、4月1日にバイドアを首都とし南西部地域自治政府の樹立を発表、いわゆる南西ソマリアが成立した。自治政府大統領にはSRRCの共同議長の1人であるシャティグドゥド(RRA指導者)が就任。独立・自治宣言をし事実上分離状態に陥ったのはこれで3例目であった。 2002年11月にケニアで起きた同時テロでは、ソマリアのイスラム原理主義組織アル・イッティハド・アル・イスラミ(AIAI)の関与が疑われた。内戦で統治機構が崩壊し、アフガニスタンのように過激派組織の温床となっているのではないか、と米国に疑惑をもたれたがハッサン政権は否定した。 和平合意案がケニアのナイロビで協議されてきたが、2003年7月に4年後の連邦政府樹立などで合意しファラ首相が調印、しかし、この調印がハッサン大統領の承認無しに行われたとして大統領は首相を非難し、協議途中で帰国した。 2003年8月、ファラ首相の不信任案が暫定議会で可決されたが、ファラ陣営は出席議員数が決議に必要な数を下回っているとして無効を主張、ハッサン大統領はムハンマド・アブディ・ユスフを新首相に任命した。またハッサン大統領は同年同月に3年の任期満了をむかえても、新政権が発足するまで職に留まる意向を表明した。
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