ニューヨーク・ジェッツ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 23:29 UTC 版)
「ブレット・ファーヴ」の記事における「ニューヨーク・ジェッツ時代」の解説
2007ー2008シーズンオフに表明した引退を撤回、現役復帰を果たす。チームの方向性や自分の必要性、首脳陣への不信感などから移籍を希望し、解雇あるいはトレードを求めた。移籍した場合パッカーズにとって大変な脅威となるためチームは当初放出しない方針を表明していたが、結局チーム側が折れる形でトレード相手を探すこととなった(ちなみに解雇した場合自由に契約交渉ができるため、移籍先の有力候補に同地区のミネソタ・バイキングスとシカゴ・ベアーズがあったことも放出を拒否した理由である)。 トレードの相手の候補にタンパベイ・バッカニアーズとニューヨーク・ジェッツがあった。当初ファーヴは(戦力的に優位な)バッカニアーズを望んでいると報道されたが、熱心な交渉を行ったジェッツにトレードが決まった。代償は翌年のドラフト4巡指名権が保障、さらにファーヴの出場プレー率やプレーオフ・スーパーボウルへの進出などによって最大1巡にまでグレードアップする条件付きであった。さらにこのトレードにはジェッツがミネソタ・バイキングスにファーヴをトレードした場合、ドラフト1巡指名権3つをパッカーズにトレードするという条項も含まれていた。 開幕から3試合は1勝2敗であったものの、第4週のアリゾナ・カージナルス戦では自己最高の6タッチダウンパスをあげた。 ファーヴ加入によりジェッツを追い出された形となったQBチャド・ペニントン(英語版)が移籍したマイアミ・ドルフィンズとの因縁の対決は最初の試合では、パス22回中15回成功、192ヤードを投げて2タッチダウン、インターセプトなし、20-14で勝利を飾ったが、2度目の対戦ではパス40回中20回成功、233ヤードを投げて1タッチダウン、3インターセプトを喫しチームは敗れた。開幕から10連勝していたテネシー・タイタンズや同地区のライバル、ニューイングランド・ペイトリオッツを破るなど5連勝を果たし、8勝3敗とプレーオフ出場への期待が高まっていたジェッツであったが、ラスト5試合でファーヴが2タッチダウン、9INTを喫するなど失速。ラスト5試合で1勝しかできずプレーオフを逃した。この年3472ヤードを投げて22タッチダウン、22インターセプトの成績を残した。ファーヴはプロボウルに選ばれたが出場を辞退、ケリー・コリンズ(英語版)が代役となった。ジェッツのオーナー、ウッディ・ジョンソンはファーヴの残留を期待するコメントを出したが、右肩の故障を理由に2月11日に現役引退を発表した。なお2009年9月にジェッツがファーヴの故障を隠して強行出場させていたことに対してNFLから罰金が科された。これについてファーヴはチーム関係者を擁護する発言を行った。
※この「ニューヨーク・ジェッツ時代」の解説は、「ブレット・ファーヴ」の解説の一部です。
「ニューヨーク・ジェッツ時代」を含む「ブレット・ファーヴ」の記事については、「ブレット・ファーヴ」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からニューヨーク・ジェッツ時代を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からニューヨーク・ジェッツ時代を検索
- ニューヨーク・ジェッツ時代のページへのリンク