ニューヨーク・ジャイアンツのワールドシリーズ拒否
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/18 08:15 UTC 版)
「1904年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ニューヨーク・ジャイアンツのワールドシリーズ拒否」の解説
ニューヨーク・ジャイアンツのジョン・マグロー監督は、アメリカンリーグ優勝チームとの対戦を潔しとはせず、対戦を拒否し、この年のワールドシリーズは開かれなかったが、原因はバン・ジョンソン会長(アメリカン・リーグ)への反発であった。新しいリーグが出来た1901年にボルチモア・オリオールズの監督兼共同オーナーとしてジョンソン会長に迎え入れられたマグローだったが、会長の強引なボルチモアからニューヨークへの移転に猛反発して、マグローは対抗するナショナル・リーグのニューヨーク・ジャイアンツに移り、ジョンソンと対立した結果、この年のボイコットとなった。ジャイアンツの会長であるジョン・T・ブラッシュもジョンソン会長を憎悪していた。ところが、このボイコットはジャイアンツの選手の中からも批判が起こり、ニューヨークのファンや新聞などでも批判の声が強かった。選手の側からすれば、当時スター級の選手でも年俸3000ドルであった時代に、シリーズに出るだけで1000ドルの分配金を手にする機会を奪われたことは大きかった。ジャイアンツのブラッシュ会長はこのことで、その後に大きく考えを改め、翌1905年にワールドシリーズの開催規約を両リーグに提案し、コミッションによる管轄、収入の分配方法、選手の出場資格などを定め、それらは「ブラッシュ・ルール」と今日まで呼ばれている。
※この「ニューヨーク・ジャイアンツのワールドシリーズ拒否」の解説は、「1904年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「ニューヨーク・ジャイアンツのワールドシリーズ拒否」を含む「1904年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1904年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。
- ニューヨーク・ジャイアンツのワールドシリーズ拒否のページへのリンク