ドナウ川の岸辺の戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 09:50 UTC 版)
「スランカメンの戦い」の記事における「ドナウ川の岸辺の戦闘」の解説
皇帝軍の左翼は15時、攻撃に移行した。友軍が充分な耐久力を確実に発揮するよう、辺境伯は歩兵部隊と騎兵部隊を混成して前進させる。これにより、困難な地勢と相まって進撃は遅滞した。代わりに本来の計画に反し、ただ牽制に用いられるはずだった皇帝軍の右翼が、最初に激しい戦闘状態に陥る。大砲は200歩の距離まで接近し、オスマン軍の砦を砲撃した。続いて皇帝軍の擲弾兵が攻撃を敢行する。スーシェ砲兵大将が自ら指揮を執り、オスマン軍の陣地に突入したが、フランス軍の専門的な砲兵300名の支援を受けたオスマン兵に撃退された。この時、スーシェ大将は戦死し、皇帝軍の諸大隊は押し戻されている。続いてイェニチェリが敢行した反撃は、指揮官の戦死によってただでさえ一貫した指揮を欠いていた皇帝軍の右翼を危機的な状況に陥れる。大規模な砲撃と、ホルシュタイン公率いる胸甲騎兵4個連隊の投入をもってようやく、オスマン軍の攻撃は大変な困難の末に退けられた。スーシェ砲兵大将に代わり、グイード・フォン・シュターレンベルク少将が右翼の指揮を担い、前方に向かって2回目の攻撃をしかけたが、これもオスマン軍に撃退された。その際、自身も矢傷を負いながら、シュターレンベルクは3回目の突撃を率いたものの、やはり失敗する。これらの損害、とりわけ将校団の損失は、その間に皇帝軍の右翼全体がほとんど機能しなくなるほど重大となっていた。 同時にオスマン軍の河川艦隊は、皇帝軍の艦船を襲撃した。数的優勢により、同艦隊は迅速に小規模な皇帝軍の艦隊の圧倒に成功する。こうして皇帝軍と、その拠点を結ぶ最後の連絡線も寸断されたのである。
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