ドイツ占領下のオランダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/18 00:32 UTC 版)
「オランダにおける戦い (1940年)」の記事における「ドイツ占領下のオランダ」の解説
オランダの降伏後、ウィルヘルミナ女王がイギリスで亡命政府を設立した。ドイツの占領は正式には1940年5月17日に始まり、国家弁務官として派遣されてきたアルトゥル・ザイス=インクヴァルトが過酷な収奪と、レジスタンスやユダヤ人に対する弾圧を行った。ザイス=インクヴァルト統治下のオランダは、他のドイツ占領地と比べても特に激しいユダヤ人狩りが行われた。当時オランダで暮らしていたユダヤ人は14万人いたが、そのうち11万以上がオランダ国外の絶滅収容所や強制収容所へと移送されている。そのうち戦後まで生き延びていたのはわずか6000人だったという。『アンネの日記』の著者アンネ・フランクもオランダから移送されて死亡した者の一人である。またドイツの戦況が悪化するに従って、非ユダヤ系オランダ人に対しても厳しい強制労働が課せられるようになった。オランダ人500万人が強制労働のためにドイツへ移送されている。レジスタンス活動家は即決裁判で処刑され、レジスタンスの関係者がいた市町村も集団罪に問われて処罰された。ザイス=インクヴァルト統治下で4万1000人のオランダ人が処刑され、5万人のオランダ人が餓死した。 一方、親ナチス政党のオランダ国家社会主義運動(NSB)や武装親衛隊(SS)のオランダ人義勇兵部隊である第23SS義勇装甲擲弾兵師団「ネーデルラント」(オランダ第1)、第34SS義勇擲弾兵師団「ラントシュトーム ネーダーラント」(オランダ第2)に参加し、戦後に反逆者として処罰・批判されたオランダ国民もいた。米英軍による対独反攻でオランダが再び自由を得るまでには、5年の歳月と25万のオランダ人の犠牲が必要であった。
※この「ドイツ占領下のオランダ」の解説は、「オランダにおける戦い (1940年)」の解説の一部です。
「ドイツ占領下のオランダ」を含む「オランダにおける戦い (1940年)」の記事については、「オランダにおける戦い (1940年)」の概要を参照ください。
- ドイツ占領下のオランダのページへのリンク