ドイツ占領統治問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:24 UTC 版)
続いて討議されたのはドイツの占領政策であった。すでにヤルタ会談で米・英・ソ・仏による分割占領と、非ナチ化、武装解除、戦犯処罰、現物による賠償が合意されていたが、占領にあたって統一的な命令は策定されず、それぞれの占領地域でばらばらの政策が実行されていた。占領政策についてもすでに欧州諮問委員会(英語版)において討議が行われていたこともあり、各占領地域に統一的な行政制度を敷くことで合意された。その後政治的・経済的な政策の原則が合意され、8月2日に「ポツダム協定」として明文化された。
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