ドイツ北部地域への集結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 17:44 UTC 版)
「ヴィルヘルム・ヴェーバー (親衛隊隊員)」の記事における「ドイツ北部地域への集結」の解説
1945年3月、大損害を被ってポメラニア戦線からの撤退を開始した「シャルルマーニュ」師団の生存者は、陸路もしくは海路でドイツ北部地域を目指し、アンクラム(Anklam)北西に位置するヤルゲリン(Jargelin)を集結地点とした。 3月8日、師団の生存者の中で特に早く現地に到着した部隊は師団司令部中隊(約200名)、師団司令部所属の諸部隊、そしてヴィルヘルム・ヴェーバーSS中尉の名誉中隊であった。彼らがヤルゲリンに到着した後の数日間、師団の他の生存者も続々と現地に集結した。こうして、兵力が多少回復した「シャルルマーニュ」師団は3月24日にノイシュトレーリッツ(Neustrelitz)に移動し、師団司令部をカルピン(Carpin)に設置した。 名誉中隊の将兵はカルピンから約4キロメートル北東に位置するオレンドルフ(Ollendorf)の村に到着し、間もなくカルピン北部のゲオルゲンホフ(Georgenhof)に移動した。ここでヴェーバーは名誉中隊の過酷な訓練プログラムを再開したが、ある日、名誉中隊は「総司令部」の公報に特別勲功部隊としてその名が記載され、表彰を受けた。さらに同日、『シグナル』(Signal)最新号の記事に使用するため、宣伝中隊(PK)が名誉中隊の将兵の集合写真を撮影した(ただし、この出来事は「シャルルマーニュ」師団史に記録されていない)。
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