トヨタの歴史とは? わかりやすく解説

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トヨタの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/27 17:12 UTC 版)

トヨタの創業者の豊田喜一郎
トヨタのロゴ(ヨーロッパ仕様)
1936年に生産されたトヨタ初の量産車モデルAAのレプリカ

トヨタの歴史(トヨタのれきし)では、日本多国籍企業であるトヨタを記述する。

トヨタは1933年、豊田自動織機製作所の一部門として創業者の息子である豊田喜一郎の指揮のもと自動車製造部門が設立されたことに始まる。喜一郎は1929年に欧米を訪れ自動車生産を調査し、1930年にはガソリン自動車用エンジンの研究を開始していた。当時の日中戦争に伴う国内自動車需要に対応するため、日本政府が自国での自動車製造を奨励したことも後押しとなった[1]。1933年9月1日、喜一郎は自動車製造部を設置して試作車の製造準備を始めた。1934年には最初のトヨタA型エンジンを完成させ、1935年5月に初の乗用車A1型に、同年8月にはG1型トラックに搭載された。翌1936年にはトヨタ・AA型乗用車の量産を開始した。初期のトヨタ車はダッジ・パワーワゴンや1930年代のシボレーに酷似しており、一部部品は米国製のオリジナル車と互換性があった[1]

現在トヨタグループは自動車メーカーとして世界的に知られているが、今もなお繊維産業に関わり、コンピュータ制御の自動織機や世界中で販売されている電動ミシンの製造も続けている。

起源

トヨタ自動車工業株式会社は1937年に独立会社として設立された。創業家の姓は漢字で「豊田」と書かれるが、社名はこれに近いカタカナの「トヨタ」とされた。理由としては、トヨタの筆画数が8画であり、東アジア文化圏では縁起の良い数字と考えられていたためである[2]。漢字は基本的に中国の漢字であるため、中国語圏において同社やその製品は今も「簡体字: 丰田、繁体字: 豐田」と表記され、中国語読みで呼ばれている。

1930年代、日本経済が近代化・拡大していく中で、フォードとGMの両社は日本に工場を設立し、ノックダウン方式でアメリカから輸入した部品を現地で組み立てていた。フォードは1925年3月に横浜工場を稼働させ、GMは1927年4月に大阪で工場を設立した。1929年までに両社は日本の自動車市場の大部分を支配し、同年には2万8000台を生産していた。トヨタ・AA型の開発にあたり、トヨタは国内で生産されたGMやフォードの製品を購入してリバースエンジニアリングを行い、さらに日本のフォードやGM工場に勤務していた技術者を採用して自社製品の開発を進めた[3]

第二次世界大戦

沈没した海軍輸送船の貨物倉に残るトヨタKB型トラックの残骸(チューク環礁海底)

太平洋戦争第二次世界大戦)中、トヨタは主に大日本帝国陸軍向けにトラックやバスを生産していた。主力はトヨタ・G1トラックの派生型であり、資材不足のため前照灯を1灯に減らし、車体外板を合板に置き換えた簡素化モデルも製造された。また、トヨタ・AA型乗用車の改造型や水陸両用車のス・キ型も軍用に生産している[4][5]

陸軍航空本部の要請により、トヨタは川崎重工業と共同で東海航空機工業(のちのアイシン)を設立した[6]。またこれとは別に、トヨタは九八式(ハ13「甲」二型)空冷星型航空エンジンを製造し[7]、1943年には2人乗りヘリコプターの試作機も開発した[8]。1944年1月、トヨタは軍需会社に指定され、軍需省の管轄下に置かれた。

1945年8月14日、名古屋大空襲の際、挙母工場の約4分の1が米軍の爆撃で破壊された[9]。この爆撃は、チャールズ・スウィーニー率いるアメリカ陸軍航空軍第509混成群により投下された「パンプキン爆弾」によるもので、同部隊は長崎市への原子爆弾投下も実行した部隊であった[10]。終戦は、連合国による愛知県内のトヨタ工場への次回爆撃予定直前に訪れた。

戦後の成長

1947年のトヨペットSA

第二次世界大戦後、日本は深刻な経済困難に直面した。商用乗用車の生産は1947年、SA型の登場により再開された。同社は1949年末には倒産寸前となったが、最終的に銀行団から融資を受けることに成功した。その条件には独立した販売部門の設立と「余剰人員」の削減が含まれていた[11]

1957年式トヨペット・クラウン

1950年6月、同社の生産はわずか300台のトラックにとどまり、経営破綻寸前に追い込まれた。経営陣は人員整理と賃下げを発表し、労働組合は2か月間のストライキで対抗した。最終的に解雇と賃下げに加え、当時の社長である豊田喜一郎の辞任を含む妥協案で妥結した。喜一郎の後任には、豊田自動織機の経営責任者であった石田退三が就任した[11]。その後、朝鮮戦争勃発直後にアメリカ軍から5000台以上の車両注文を受け、会社は息を吹き返した。石田は設備投資への重点的な取り組みで知られ、その一例が1959年に完成した元町工場であり、これが1960年代に日産に対する決定的な優位性を生み出した[11]

1950年には独立した販売会社としてトヨタ自動車販売株式会社(1982年7月まで存続)が設立された。1956年4月にはトヨペット系ディーラー網が整備され、1957年にはクラウンが日本車として初めてアメリカへ輸出された。同年にはアメリカ法人「Toyota Motor Sales Inc.」とブラジル法人「Toyota do Brasil S.A.」も設立された。

アメリカでの輸出開始により、初めて社名の響きが英語話者にどのように受け取られるかが課題となった。英語では「Toyota」の冒頭音節に「toy(おもちゃ)」が含まれているからである。アメリカ販売法人の最初の営業管理者であったジェームズ・F・マグロウは1959年に着任した際、日本人上司に対し「Toyはおもちゃを意味し、おもちゃは壊れる」と率直に指摘した[12]。当時「yota」や「yoda」には特別な意味はなかったが、1980年にルーカスフィルムが映画『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』を公開し、ヨーダというキャラクターが登場したことで状況が変わった。その結果、2001年にはフロリダ州で自動車「トヨタ」を景品として期待していた女性に「Toy Yoda(おもちゃのヨーダ)」が渡されるという悪ふざけ事件が起こり、これは語境界の誤解[13]や悪ふざけと契約法に関する事例として学術的論考の対象となった[14]

世界展開

トヨタは1960年代に研究開発拠点を新設し、タイに進出するとともに、累計生産1000万台を達成、デミング賞の受賞、日野自動車ダイハツ工業との提携を進めた。日本国外で初めての現地生産は1962年11月12日、ブラジルサンベルナルド・ド・カンポで行われた[15]。この10年の終わりまでにトヨタは輸出台数100万台を超え、世界的な存在感を確立した。

日本車が初めてアメリカ大陸に到着したのは1953年5月で、その時エルサルバドルに5台のランドクルーザーが輸出された[16]カナダへの最初の輸出は1965年2月、115台のクラウンであった[17]

ヨーロッパへの最初の出荷は1962年6月、評価用としてフィンランドに送られた2台のトヨペット・ティアラであった。同年10月には輸入業者が報道陣に披露したが、販売には結びつかなかった[18][19]。最初のヨーロッパ正規輸入業者はデンマークのErla Auto Import A/Sであり、1963年5月の合意に基づきノルウェースウェーデンを含む地域の販売代理店となり、400台のトヨタ・クラウンを輸入した。翌1964年5月にはオランダでも展開し、独自の自動車産業が弱い国を足掛かりに1966年以降さらに市場を広げた。1968年にはポルトガルのSalvador Caetano I.M.V.T. が欧州初のCKD組立を開始した[18]

2008年-2012年

2008年半ば、高燃料価格とアメリカの経済の低迷により、トヨタは6月の販売台数が前年比二桁減少したと報告した。これはビッグスリーと同様の傾向であり、特にタンドラ・ピックアップトラックの販売不振に加え、プリウスカローラヤリスといった燃費性能の高い車種の供給不足が原因とされた。その対応として、同社はトラック工場の稼働を停止し、他の工場では需要の高い車種の生産へ切り替える方針を発表した[20][21][22][23]

2010年1月、トヨタはアクセルペダルの不具合による大規模リコールのため、8車種の販売を一時停止した[24]。さらに2012年12月には、一部車種における意図せぬ急加速に関する集団訴訟の和解金として10億ドル超を支払うことで合意したと発表した[25]

脚注

出典

  1. ^ a b Toyota - history of the car company”. Toyoland. 2025年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  2. ^ Pollack, Andrew (1995年8月11日). “Toyota Names President Outside Founding Family”. The New York Times. https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=990CE6D7173DF932A2575BC0A963958260 2012年12月27日閲覧。 
  3. ^ Assembly Production by Ford and General Motors”. 75 years of Toyota. Toyota. 2020年11月22日閲覧。
  4. ^ “Automation and the Organization of Production in the Japanese Automobile Industry: Nissan and Toyota in the 1950s”. Enterprise & Society 1 (1): 143. (2000-03). JSTOR 23699656. "Moreover, during the war, Toyota manufactured standard-sized trucked almost exclusively for the army, which paid one-fifth of the price in advance and the balance in cash on delivery." 
  5. ^ “Toyota Motor Corporation”. Encyclopaedia Britannica. March 2024. During World War II the company suspended production of passenger cars and concentrated on trucks
  6. ^ 75 Years of Toyota | Part 1 Chapter 2 Section 5 | Item 9. Establishment of Tokai Hikoki Co., Ltd.”. Toyota. 2025年6月9日閲覧。
  7. ^ 75 Years of Toyota | Part 1 Chapter 2 Section 5 | Item 9. Toyota Motor Co., Ltd. Aircraft Plant”. Toyota. 2025年6月10日閲覧。
  8. ^ 75 Years of Toyota | Part 1 Chapter 2 Section 5 | Item 9. Helicopter prototype production”. Toyota. 2025年6月9日閲覧。
  9. ^ 75 Years of Toyota | Part 1 Chapter 2 Section 6 | Item 1. Resumption of factory production”. www.toyota-global.com. 2025年6月9日閲覧。
  10. ^ Brief History of the 393rd Bomb Squadron”. United States Air Force. 2015年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月20日閲覧。
  11. ^ a b c The Creators of Toyota's DNA”. Assembly (2007年2月6日). 2025年3月5日閲覧。
  12. ^ James, Wanda (2005). Driving from Japan: Japanese Cars in America (2007 reprint ed.). Jefferson, North Carolina: McFarland & Company. p. 44. ISBN 9781476612805. https://books.google.com/books?id=ixBeCgAAQBAJ&pg=PA44 
  13. ^ Oaks, Dallin D. (2010). Structural Ambiguity in English: An Applied Grammatical Inventory. London: Continuum International. p. 42. ISBN 978-1-4411-4137-8. https://books.google.com/books?id=F3E8CwAAQBAJ&pg=PA42 
  14. ^ Rowley, Keith A. (2003). “You Asked for it, You Got it . . . Toy Yoda: Practical Jokes, Prizes, and Contract Law”. Nevada Law Journal 3 (3): 526–559. https://scholars.law.unlv.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1272&context=nlj. 
  15. ^ 75 Years of Toyota | Part1 Chapter2 Section9 | Item 3. Toyota's first production outside Japan at Toyota do Brasil”. www.toyota-global.com. 2025年3月5日閲覧。
  16. ^ Beltrán, Jorge (2013年4月3日). “50 Aniversario de TOYOTA en El Salvador” [50th Anniversary of Toyota in El Salvador]. elsalvador.com. 2013年5月20日閲覧。
  17. ^ トヨタ自動車販売(株)『モータリゼーションとともに. 資料』(1970.11)” [Toyota Motor Sales Co., Ltd. "With Motorization" document (1970.11)]. Shibusawa Shashi Database. Shibusawa Eiichi Memorial Foundation. p. 100. 2019年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  18. ^ a b Item 4. Exports of Completely-built Vehicles”. 75 years of Toyota: Vehicle Lineage. Toyota. 2013年1月22日閲覧。
  19. ^ Toivonen, Rauno, ed (1979-10-18). “Lyhyesti: Lähes 130 000 Toyotaa suomeen [In Brief: Nearly 130,000 Toyotas to Finland]” (フィンランド語). Tekniikan Maailma (Helsinki: TM-Julkaisu) 35 (17/79): 143. ISSN 0355-4287. 
  20. ^ Toyota sputters as market shifts
  21. ^ “Toyota Cuts Back on Trucks”. Time. (2008-07-11). オリジナルの2008-07-14時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080714055532/http://www.time.com/time/business/article/0,8599,1822123,00.html 2010年5月4日閲覧。. 
  22. ^ Loyalty to Detroit 3 slipping away | Freep.com | Detroit Free Press”. 2013年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月11日閲覧。
  23. ^ Vlasic, Bill; Bunkley, Nick (2008年7月11日). “Toyota Scales Back Production of Big Vehicles”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2008/07/11/business/worldbusiness/11toyota.html?em&ex=1216008000&en=e057635b33b58e68&ei=5087%0A 2010年5月4日閲覧。 
  24. ^ Toyota Suspends Sales of 8 Recalled Vehicle Models”. Fox News. Associated Press (2010年1月26日). 2010年1月27日閲覧。
  25. ^ Zalubowski, David (2012年12月26日). “Toyota settlement in sudden-acceleration case will top $1 billion”. Los Angeles Times. http://www.latimes.com/business/autos/la-fi-toyota-to-pay-at-least-12-billion-to-settle-suddenacceleration-lawsuit-20121226,0,7432292.story 2012年12月27日閲覧。 

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