デリー入城と暴虐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/03 14:26 UTC 版)
「グラーム・カーディル・ハーン」の記事における「デリー入城と暴虐」の解説
1788年7月18日、グラーム・カーディル・ハーン率いるローヒラー族の軍はデリーを占領し、デリー城内とその周辺に4,000の部下を配置して、皇帝と皇子の武器を奪った。その後、7月30日にシャー・アーラム2世を廃し、ビーダール・バフトを「ジャハーン・シャー」の名で帝位につけ、自身の傀儡とした。 その後、アフガン兵は宮殿から財宝を略奪し、宦官を嬲り殺して女官を拷問にかけたため、8月11日にシャー・アーラム2世が不満を言うと、グラーム・カーディル・ハーンは彼を盲目にした。翌12日、シャー・アーラム2世がグラーム・カーディル・ハーンを罵ると、彼はその胸にのしかかり、部下のカンダハール・ハーンとプルディル・ハーンが両手両足を押さえた。カンダハール・ハーンは皇帝の眼球を抉り、グラーム・カーディル・ハーンはもう一方の眼球を抉り出した。また、3人の皇子の目をつぶしたうえ、画家を呼びつけ、シャー・アーラム2世の胸に乗りその眼を抉っている自身の肖像を描くように命じた。 そのまた翌日、グラーム・カーディル・ハーンは地面に転がっていたシャー・アーラム2世の髭をつかんで、「自分がこういう厳しい扱いをするのは、お前(シャー・アーラム2世)が過ちを犯したからだ。(略)でなければ、良心にとがめることなく、お前の手足を引きちぎっているところだ」、と言い放った。このころ、飲食を許されていなかった皇帝の家族からは死人が出てきたが、彼は使者をその場に埋めるように言った。 無論、ジャハーン・シャーやマリカ・ウッザマーニーも例外ではなく、協力関係にあった彼らもグラーム・カーディル・ハーンに財宝を引き渡さなければならなかった。マリカ・ウッザマーニーが「これ以上引き渡す財宝はない」と言うと、グラーム・カーディル・ハーンは後宮に部下を送り込み、女性の衣服を剥ぎ取り、床を掘り起こし、壁を破壊してまで財宝を探させた。
※この「デリー入城と暴虐」の解説は、「グラーム・カーディル・ハーン」の解説の一部です。
「デリー入城と暴虐」を含む「グラーム・カーディル・ハーン」の記事については、「グラーム・カーディル・ハーン」の概要を参照ください。
- デリー入城と暴虐のページへのリンク