デリー撤退と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/03 14:26 UTC 版)
「グラーム・カーディル・ハーン」の記事における「デリー撤退と死」の解説
しかし、2ヶ月後、グラーム・カーディル・ハーンの軍に食糧不足が起こり、そのうえマハーダージー・シンディアの率いる軍が近づいてきたため、10月2日に彼は略奪した2億5000万ルピーもの財宝とともにデリーから撤退した。その翌日、シンディア家の軍がローヒラー族の軍と入れ替わる形でデリーに入り、皇帝を保護した。 その後、味方のローヒラー族の軍はシンディア家の軍勢により追撃をうけ、次々に捕えられ、奪い返された財宝は帝国に返還された。そして、翌1789年3月にはグラーム・カーディル・ハーンも捕えられたのち殺害され、シャー・アーラム2世が望んだようにその眼球、鼻、耳がデリーに届けられた。 グラーム・カーディル・ハーンの殺害後、弟グラーム・ムイーヌッディーン・ハーンが指導者の地位を継承したが、厳しい追撃からもはや本拠ナジーバーバードには戻れず、パンジャーブへと逃げざるを得なかった。
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