デリー・スルターン朝への勝利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 01:26 UTC 版)
「サングラーム・シング」の記事における「デリー・スルターン朝への勝利」の解説
マールワーを征服したのち、サングラーム・シングは北西ラージャスターン地方へ軍を向けた。当時、この地域はデリー・スルターン朝、イブラーヒーム・ローディーの支配下にあった。サングラーム・シングはこれらの地域にデリー・スルターン朝への反乱を起こさせたのち、侵略した。 1517年から1518年にかけて、ローディー朝の軍勢はラージプートの城塞グワーリヤルを包囲していた。だが、このサングラーム・シングの侵攻に、ローディーは唖然とし、1518年から1519年までメーワールと戦端を開いた。 だが、サングラーム・シングは幾度かの戦いでローディーに勝利し、ラージャスターン方面の領土を奪ったばかりか、その軍事的影響力をアーグラにまで伸ばした。ローディー朝はラージャスターン地方における領土をほとんど失い、さらにはアーグラまで脅かされることになり、手痛い打撃を被った。 サングラーム・シングはランタンボールなどを含む様々な要衝を占領したものの、彼はこれらの戦いで左腕を失い、足一本を不自由になった。 その後すぐ、1520年にサングラーム・シングはグジャラート・スルターン朝とも戦ったが、これにも勝利している。
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