デュマのダルタニャン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 18:58 UTC 版)
「ダルタニャン」の記事における「デュマのダルタニャン」の解説
ダルタニャンをモデルにした創作で最も早いと思われるものは、かつてダルタニャンの下で銃士をしていた文人クールティル・ドゥ・サンドラスの執筆した偽回想録『ダルタニャン氏の覚え書き』で、初版が1700年に出版されている。これを種本として創作されたのが、アレクサンドル・デュマ・ペールの『ダルタニャン物語』である。 『ダルタニャン物語』においては、史実のダルタニャンより年齢は10歳ばかり年上の1605年生まれとされている。これは、1627年から始まったラ・ロシェルの包囲戦にダルタニャンを参加させるためである。 史実のダルタニャンと同じく、少年時代のダルタニャンはパリに上京して銃士となる。アトス、ポルトス、アラミスら三銃士と友人になり、リシュリュー枢機卿の陰謀を打ち破る。中年期以降は、それぞれの立場の違いから、親友の三銃士と敵対することも増え始める。 たびたび「小柄でやせぎす」と描写されているが、50歳を過ぎた時点ですらかなりの戦闘能力を発揮しており、ポルトスほどではないが膂力の強い部類に入る。「ラテン語を一向に覚えられなかった」と発言しており、アラミスの話す神学の話をほとんど理解できていないことから、教養にはうといようである。だが機転が利き、知恵があるタイプであり、最年少ながら三銃士らと行動するとき、作戦を立てたり、場を仕切ることも多かった。容貌としては、鷲鼻で浅黒く、髪はもともと黒だったが、苦労を重ねたためか40歳の時点で半白、50歳を超えると灰色になる。女性にはそれなり以上にはもてるが、若い頃の失敗もあったためか結婚はせず、子供ももうけていない。そのため、アトスの息子ラウルを自分の息子同様に可愛がる。 政治的には、基本的にフランス王家に忠誠を誓う立場である。ただ、史実と異なりマザランには反感を抱いており、たびたび悪口を言っている。また、20代の若さで銃士隊の副隊長にまで出世するが、アトスら三銃士が相次いで退役すると元気がなくなり、一向に昇進の機会が得られなくなる。50歳になり、ルイ14世の親政が始まると銃士隊隊長に就任、最終的にはフランス元帥にまで出世する。
※この「デュマのダルタニャン」の解説は、「ダルタニャン」の解説の一部です。
「デュマのダルタニャン」を含む「ダルタニャン」の記事については、「ダルタニャン」の概要を参照ください。
- デュマのダルタニャンのページへのリンク