デュマノワールの逃走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 10:05 UTC 版)
「オルテガル岬の海戦」の記事における「デュマノワールの逃走」の解説
トラファルガーの海戦で、仏西連合艦隊の先頭位置にいたデュマノワール提督指揮下の4隻の戦列艦は、戦闘を抜け出し、南の方向を目指した。デュマノワールは当初の目的は、ピエール・ヴィルヌーヴが最初に下した命令を遂行するため、トゥーロンに針路を定めていた。しかしこの海戦の翌日、デュマノワールは、トマス・ルイス(英語版)少将指揮下の大規模なイギリス戦隊が、ジブラルタル海峡を巡回しているのを思い出し、考えを変えた。スペイン沖での嵐が徐々に強まっており、デュマノワールは北西に向かうよりも西方に針路を取ってサン・ヴィセンテ岬を通過し、その後東に折れてビスケー湾を横切り、ロシュフォールの港を目指した。トラファルガーでごくわずかな損害しか受けなかったため、デュマノワールの戦隊は依然として大規模戦隊の様相を呈していた。トラファルガーから逃走する時、デュマノワールの旗艦であるフォルミダブル(英語版)は、12門の12ポンド砲を船尾甲板から投げ捨てて荷を軽くし、逃走を助けた。デュマノワールは10月29日にサンビセンテ岬を回ってイルダクス(英語版)に向かい、11月2日にビスケー湾に入った。
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