デビュー・「世捨て」とは? わかりやすく解説

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デビュー・「世捨て」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:35 UTC 版)

車谷長吉」の記事における「デビュー・「世捨て」」の解説

大学卒業後は東京日本橋広告代理店中央宣興入社するその後1971年2月から現代評論社の『現代の眼』編集部勤務 する三島由紀夫自殺触発され、また創元文庫の「西行法師歌集」を読んで「世捨て」という生き方強く心を奪われ発心して会社員生活傍ら私小説書き始め1972年処女作『なんまんだあ絵』(『鹽壺の匙』所収)で新潮新人賞候補となる。 1973年現代評論社辞めて朝日新聞社中途採用試験合格したものの、石油危機影響内定取り消される。筆で身をたてようとするも、原稿を没にされ続けて行き詰まり無一文になり 1976年1月30日夜行列車飛び乗って故郷へ逃げ戻る。母親激怒され「一生旅館下足番でもやれ」と言われ職業安定所に行くと本当に旅館下足番募集があったため、そこに雇われた。下足番として働きつつ、姫路忍町みかしほ調理師専門学校学び1977年3月同校卒業する30歳からの8年間は、旅館下足番料理人として神戸西宮曽根崎尼崎三宮などのタコ部屋転々と漂流する住所不定の生活を送っていた。当時は朝6時から夜11時まで働き月給2万円か5万であった宮澤喜一竹中正久の靴を揃えたこともあり、特に竹中からは「あんたのようなええ若い者(もん)が、なんでこんなところで下足番しとんや」と言われ1万円チップ貰ったという。世捨人の生活をしていたとされるが、正確にはこの雌伏期間、『新潮1976年5月号に「魔道」(「白桃」に改題)を、同誌1981年8月号に「萬蔵場合」を、『文學界1982年5月号に「過ぎ」(「ある平凡」に改題)を発表して、「萬蔵場合」は第86回芥川賞候補となっている。

※この「デビュー・「世捨て」」の解説は、「車谷長吉」の解説の一部です。
「デビュー・「世捨て」」を含む「車谷長吉」の記事については、「車谷長吉」の概要を参照ください。

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