テレビへの転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/16 08:49 UTC 版)
「ユナイテッド・プロダクションズ・オブ・アメリカ」の記事における「テレビへの転換」の解説
1960年代前半にハリウッドの大手スタジオらはそのアニメーション部門の縮小や廃止を始め、UPAもまた財政困難に陥り、ボスストウはスタジオを新たなプロデューサーであるヘンリー・G・サパースタインに売却した。スタジオを維持すべく、サパースタインはUPAの活動をテレビ中心に転換した。UPAは『近眼のマグー』シリーズを拡張し、コミック・ストリップ『ディック・トレイシー』のアニメ化を含む他のアニメーションシリーズと共にテレビで放映した。スタジオは運営を続けたものの、過密な制作スケジュールと予算削減が作品の品質低下を招いた。UPAはかつて映画館で公開した数よりも遥かに多量の作品の粗製濫造を強いられ、作品の質、特にマグーシリーズの質は悲惨な水準にまで落ち込んでいった。 UPAのリミテッド・アニメーションは他のアニメーションスタジオ、特にハンナ・バーベラ・プロダクション等のテレビ向けアニメーションスタジオの採用するところとなった。しかしながら、それは表現上の選択としてではなく、むしろ予算削減の手段として行われていた。アニメーションの枠を広げ新たな芸術形式を生み出そうというUPA本来の志とは裏腹に、次の20年間には安上がりな大量生産される低品質アニメーションがテレビアニメーションを消耗品の地位に貶めていた。 テレビ期におけるUPAの唯一の栄光は、『がんばれマグー』(原題:The Famous Adventures of Mr. Magoo)シリーズの第1話となった『Mr. Magoo's Christmas Carol』(1963年)によって齎された。この作品はチャールズ・ディケンズの物語の精神をそれまでの再話が成しえなかった手段により捉えた作品であり、『スヌーピーのメリークリスマス』(原題:A Charlie Brown Christmas)や『グリンチ』(原題:How the Grinch Stole Christmas!)と並ぶ、1960年代のクリスマスアニメの古典であると考えられている。 UPAはその活動期間に2本の長編映画を制作している。ジャック・キニー監督による『近眼のマグー 千一夜物語』(1959年、原題:1001 Arabian Nights)と、エイブ・レヴィトウ監督による『Gay Purr-ee』(1962年)である。
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