テレコム・アニメーションフィルムに移籍とは? わかりやすく解説

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テレコム・アニメーションフィルムに移籍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 04:39 UTC 版)

高畑勲」の記事における「テレコム・アニメーションフィルムに移籍」の解説

1980年、『赤毛のアン』が終わりのんびりしていた高畑のもとに、漫画じゃりン子チエ』の映画化企画持ち込まれた。高畑原作熟読した上でやってみたい」と返事しその後大阪下町へのロケハン敢行した。1981年公開され映画は、非常に制約の多い中で制作されたにもかかわらず興行的に成功したその後TV版制作されることになり、再び高畑元へ依頼が来る。この時、高畑引き受け条件として、映画版主役竹本チエ務めた中山千夏、準主役竹本テツ務めた西川のりお起用すること、それ以外声優に関しても、ナチュラル大阪弁話せる声優起用すること、という条件出したが、制作側がその条件呑みチーフディレクター務めることとなった高畑自身、この作品を非常に気に入っており、別名を使ってコンテ切った演出をしている。その時使っていた別名は、本作西川のりお演じた竹本テツをもじった「武元哲」である。『チエ』が公開され1981年テレコム・アニメーションフィルム移籍した。 同じ時期に、オープロダクション自主制作で手がけた『セロ弾きのゴーシュ』の監督担当し5年費やして1981年完成劇場公開1982年)した作品毎日映画コンクール大藤信郎賞受賞した。 『じゃりン子チエ』に前後して当時テレコム・アニメーションフィルム(および親会社である東京ムービー)が社運をかけて取り組んでいた日米合作劇場大作NEMO/ニモ』に参加する。いったんは日本側の監督ノミネートされたが、制作体制問題から1983年降板し、テレコム・アニメーションフィルム退社する宮崎駿一足先に退社していた)。『NEMO/ニモ』製作のための渡米時にフレデリック・バック作品クラック!』に出合い感銘受けている。

※この「テレコム・アニメーションフィルムに移籍」の解説は、「高畑勲」の解説の一部です。
「テレコム・アニメーションフィルムに移籍」を含む「高畑勲」の記事については、「高畑勲」の概要を参照ください。

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