ティグナー報告書
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アメリカ民政府と琉球政府は、スタンフォード大学のジェームズ・ティグナー(James Tigner)に、ボリビアなどで南米の沖縄出身者の移民活動状況の調査を依頼した。1952年5月、ジェームズ・ティグナーが現地視察のためにボリビアに入国した。この時、ティグナーは「うるま農業組合」を設立した戦前移民たちと接触を持った。ティグナーは、「うるま農業組合」に対して移住10カ年計画を提案し、同時にボリビア政府から認可があり次第、アメリカ政府に送付するように指示した。 ティグナーは南米を視察した内容と提言を「ティグナー報告書」としてまとめ、琉球政府に提出した。この報告書の中で、沖縄の過剰人口解決として、ボリビアで戦前移民が提唱している移民計画に沿った移住の提案がなされた。この「ティグナー報告書」の結論で、ボリビアへの移民の必要性を以下のように記述している。 年々人口が増大する一方、耕地の減少していく人々にとっては、将来は不安定である。不安や不満は殊に、沖縄の青年間にあっては、必然的に土地所有や十分な生活への失望を伴うものである。共産主義は青年に訴えることを常套手段として、共産主義陣営の各地で大成功を収めていることに鑑み、沖縄の青年は共産主義に感化されやすい要素を多分に備えていると言うことが出来る。移民計画にある通り、海外に広大な無償土地を求めることは青年に新たな希望を与え、彼等の不安や、共産主義の虚栄の報酬の約束に対する感化に、対処することが出来るのである。 — 『ティグナー報告書』、コロニア・オキナワ入植50周年記念誌 (2005, pp. 420) アメリカ民政府と琉球政府は、戦前のボリビア移民による「うるま農産業組合」の計画と、この「ティグナー報告書」を拠り所として、ボリビアへの農業移住計画案として具体化していくことになった。
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