チリ海軍時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 16:15 UTC 版)
「ワスカル (装甲艦)」の記事における「チリ海軍時代」の解説
アンガモス海戦後の「ワスカル」。 「ワスカル」を鹵獲したチリ海軍は、すぐさま整備して自国の艦隊に編入した。1880年2月27日にはペルーのアリカ港を攻撃し、ペルー海軍のモニター艦「マンコ・カパック」などと交戦して港に封じ込めた。そのまま同年6月のアリカ陥落まで「マンコ・カパック」の脱出を許さず、自沈に追い込んだ。ただし、「ワスカル」も艦長が戦死した。 1885年から1887年まで改装工事を受けた。汽缶やスクリューの換装など大規模なもので、砲塔の動力化も行われた。 1891年のチリ内戦では、反乱を起こした議会軍に使用された。議会軍の勝利まで、陸上への艦砲射撃や船団護衛などの活動をした。 1897年に機関部で爆発事故が発生し、一旦は除籍となった。1905年に砲艦としての再生工事が検討されたが実施されず、その後、1917年から1930年までH級潜水艦部隊の係留母艦任務に使われた。 1903年に撮られた「ワスカル」 1917年に撮影された潜水母艦時代の「ワスカル」。右舷側にH級潜水艦が停泊している。 1920年代に撮られた「ワスカル」。 1930年代に修復工事が行われ、1934年に記念艦として現役復帰した。1951年から1952年にかけて、1878年時点の状態への復元工事が行われた。1971年から1972年にもドック入りしての大規模な整備が行われ、船体の全面改修や機関の再生産品との換装がされた。その後もタルカワノ(Talcahuano)に係留展示されている。 記念艦となったワスカル(1975年撮影)。 船内のハンモック 船内ホール 船長室 機関室 船内の礼拝堂 2010年の地震後に修理が完了し、記念艦活動再開時の式典の様子 記念艦となったワスカル(2014年撮影)。
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