ダイカストの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 05:03 UTC 版)
奈良の大仏に見られるような古代より行われてきた砂型鋳造法に比べ、ダイカストの歴史は比較的新しい。砂型鋳造やそれから発展した石膏型鋳造は、鋳込んだ製品を取り出す毎に型を破壊しなければならなかったが、その後、同じ型から製品を大量に生産出来るよう金型が考案され、やがて溶解金属に圧力をかけて注入する方法、つまり、ダイカスト法の誕生をみた。 1830年代に米国のエリシャ・ルート (Elisha K. Root) がサミュエル・コリンズ (Samuel W. Collins) の下でダイカスト法を開発。1838年にデヴィッド・ブルース (David Bruce) によるダイカスト活字の製品化。 日本におけるダイカストの研究は1910年(明治43年)頃から大学の金属研究室を中心に行われ1917年(大正6年)には最初のダイカスト会社が大崎(東京市)に設立された。当時は鉛・錫・亜鉛を中心とした低融点合金を使用していたが、昭和に入りアルミニウム・銅合金の素材も使用可能となり、生産の拡大が進展し、太平洋戦争中は軍需品を中心に年間2,500トン程度の生産まで達した。 戦後1950年(昭和25年)頃までは低迷期が続いた。1952年(昭和27年)以降、日本工業規格(JIS、現・日本産業規格)に関連規格が制定される。その後、高度経済成長や自動車産業の発展とそれに伴う、ダイカストマシンの改良・合金素材の開発が急速に進展し、1990年代はバブル崩壊の影響で微増に留まるものの、マシンのコンピューターコントロール化・大型化もあいまって、2000年代には生産性の向上と製品の多様化が顕著となり、生産量は年間100万トンを超えた。
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