ゾイデル海と生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/06 16:29 UTC 版)
ゾイデル海は15世紀以降、海岸線に潮受堤防(ダイク)が築かれたことにより拡大を止めた。しかしゾイデル海は、北海で嵐が起こるたびに南へと押し寄せる海水の影響で荒れる海へと変わり、高潮や洪水が起こったり船が転覆したりした。1421年11月18日の深夜から19日未明には北海の嵐の影響でゾイデル海の海面が上昇し潮受堤防が破れ、低地にある72の村が沈み1万人以上が死亡した。聖エリーザベトの日(11月19日)に起こったため、1421年の聖エリーザベト洪水(Sint-Elisabethsvloed)と呼ばれる(1404年の聖エリーザベトの日にゼーラントからフランドルにかけて起こった聖エリザーベト洪水と区別するため、「2回目の」あるいは「1421年の」と冠される)。この洪水で沈んだ土地は、数十年後に干拓されるまで海のままであった。 ゾイデル海の沿岸には多くの漁村が建ち、そのいくつかは海上交易を始め城郭都市へと変わっていった。オーファーアイセル州のカンペンや、後に発達したホラント州のアムステルダム、ホールン、エンクハイゼンなどはその例である。これらの街は最初はバルト海諸国やイングランド、あるいはハンザ同盟との交易を行っていたが、大航海時代には世界へと交易路を拡大し、オランダ植民地帝国の建設に貢献した。しかしオランダの貿易が衰退すると多くの港町が漁業へと戻り、20世紀に観光業が発達するまではゾイデル海や北海での漁業が多くの街の主産業となっていた。ゾイデル海の中には、中世の洪水以前には本土の一部や半島であったりもっと大きな島であったりした4つの小島、Wieringen(ウィーリンゲン島、Urk(ウルク島)、Schokland(スホクラント島)、Marken(マルケン島) があり、これらの島の住民も漁業で生計を立てていたが、波の浸食で年々面積が縮小することに悩まされ、スホクラント島は19世紀に住民が立ち退き放棄された。これらの島は、20世紀後半までの干拓地の拡大により、すべて本土の一部となったか本土と道路でつながった。
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