ソ連によるプロパガンダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:31 UTC 版)
「FCディナモ・キエフ」の記事における「ソ連によるプロパガンダ」の解説
ただし、試合が行われたことは事実であるものの、選手が処刑されたというのはソ連のプロパガンダによる作り話との見方もある。 ウクライナ人の間でもこれらの話は長らく真実として信じ込まれてきたが、近年多くの学者やジャーナリストの調査によって、選手が殺害されたという話には信憑性がないという見方が主流になってきた。ナチスの戦争犯罪を追求してきたハンブルグの検察局も、「確固たる証拠を発見することはできなかった」として2005年に捜査を終了している。 ディナモ・キエフが設立時から警察によって支援を受けていたため(東欧には軍や警察が母体のクラブチームは珍しくない)、ディナモ出身の選手がスパイ容疑などで取り調べや拷問を受けていたケースはあるものの、「ドイツに最後まで抵抗して、八百長に手を染めることはなく死んでいった」という話はソ連によるプロパガンダであった可能性が極めて高い。 事実、ソ連時代にはリーダーの交代とともに、話の内容も変化していた。 俗に「死の試合」と呼ばれてきた1942年の2試合について、キエフ国立博物館の歴史学者マリナ・シェフチェンコは2012年6月に、ニューヨークタイムズの取材に対して「みな英雄を求めています。ロビン・フッドのような英雄を」と語り、ソ連が対独・対西側向けに作り出したプロパガンダが結果的にウクライナ人の愛国心を保つ要因になったと語っている。
※この「ソ連によるプロパガンダ」の解説は、「FCディナモ・キエフ」の解説の一部です。
「ソ連によるプロパガンダ」を含む「FCディナモ・キエフ」の記事については、「FCディナモ・キエフ」の概要を参照ください。
- ソ連によるプロパガンダのページへのリンク