スバルでの苦闘時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 03:11 UTC 版)
「ペター・ソルベルグ」の記事における「スバルでの苦闘時代」の解説
2004年、王者ソルベルグは序盤堅実な走りを見せるが、アルゼンチン、フィンランド、ドイツと中盤3戦で連続リタイアを喫してしまう。一方で初開催のラリー・ジャパン、グレートブリテン、サルディニアでは3連勝をあげる。シーズン5勝と最多のステージベスト95回を記録したが、6勝して確実に高ポイントを積み重ねたローブが初チャンピオンを獲得し、ソルベルグのタイトル防衛はならなかった。 2005年は、スウェーデン、メキシコで2勝をあげたが、その後はミシュラン製グラベルタイヤを武器にローブの快進撃が続く。ソルベルグは日本では勝利を目前にしながら不運なリタイアを喫し、オーストラリアでも首位走行中にカンガルーに激突。同じ1974年生まれのライバルだったふたりは「勝ち続けるローブと勝利に見放されるソルベルグ」という対照的な関係になっていく。 2006年も、インプレッサWRCの戦闘力向上が進まず、成績も得点圏内に入賞するのがやっとという散々な展開となった。ドライビング的な問題よりも、マシンの不具合や突然のトラブルといったものが足を引っ張り、ソルベルグ自身「呪われている」と頭を抱える始末であった。 2007年も同様にポディウム争いからは遠のく。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}同年フルモデルチェンジしたインプレッサがハッチバックスタイルになったのも、「ライバルがハッチバックだからインプレッサもハッチバックが良い」というペターの一言で決まったとも言われている。[要出典] 2008年は、インプレッサの新型WRカーがデビューし、ソルベルグが一時SSでトップタイムを叩き出すなど、明るい兆しが見えてきたシーズンでもあった。しかし世界金融危機の影響で業績が悪化したスバルは、12月16日に突如WRCからの撤退を表明した。これについてソルベルグは"I don't know what will happen now.(現状では、どうなるか分からない。)"とコメントした。
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