スハニ32形(スハニ35750形)
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「国鉄オハ35系客車」の記事における「スハニ32形(スハニ35750形)」の解説
スハニ31形(スハニ35700形)の改良増備車として設計された三等座席荷物合造車で、1939年(昭和14年)から1941年(昭和16年)にかけて日本車輌で65両が製造された。定員48名+荷重5 t。 基本レイアウトはスハニ31形を踏襲し、その側窓を広窓で置き換えた形態であり、車体中央部に洗面所と便所を置き、そこを境界として車掌室、荷物室と客室に二分するレイアウトとなっている。 洗面所を設置したことから定員は48名となり、スハニ31形からは2名減となっている。 当時としては優秀な客室設備を備えていたことから、戦前にはオハ35形やオロ36形などとともに「燕」をはじめとする優等列車に優先投入され、戦後もスハ44系新造まで「へいわ」や「つばめ」といった特急列車に連結されるなど、常に第一線で重用され続けた。 1941年(昭和16年)の称号改正でスハニ32 1 - 65とされ、1943年(昭和18年)には戦時輸送対応のため6両がスハニ34形に改造された(後述)。 戦後、4両が戦災廃車となり、広幅の荷物扉を備えていて便利であったためかスハニ34形も含め25両が進駐軍に接収され、オハネ32形、オシ30形、スロニ31形、スロニ32形、スロニ35形、オミ34形、オミ45形に改造の上で使用された。 講和条約発効後、これらは順次日本側に返還されて戦災廃車分以外はすべて復元された。上記の新製車のほか、スハユ31形からの編入車が2両あり、後年マニ35形に21両、スヤ33形に1両、スエ31形に2両が改造されて数を減じ、原形を保っていた未改造車も手荷物輸送の減少と長年の酷使による疲弊から、1979年(昭和54年)にスハニ32 12(門ハイ)が廃車され形式消滅した。
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スハニ32形
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66・671950年(昭和25年)に国鉄五稜郭工場でスハユ31 1・2を改造した車両で、郵便取り扱い設備を取り払い床桟や荷物棚を設備した。 67は1965年(昭和40年)にマニ35 2055に改造され、66(新ニイ)は1968年(昭和43年)に廃車された。
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