スエ31形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 06:17 UTC 版)
五稜郭、小倉、盛岡、新津、多度津、高砂、土崎の各国鉄工場で改造。 改造に伴い窓や扉を埋塞されたり、側扉が増設された車両などがあった。また、それらの改造に加えてベンチレーターが一部撤去された車両も存在した。1987年(昭和62年)までに全車廃車となった。 0番台11・16・31・38・44・45・52 - 58・63 - 65・68・72 - 76・1831963年(昭和38年)から1971年(昭和46年)にかけて新製車であるマニ32 5・9・10・11・20・24・25・27・2029・44・55・61 - 63と、マニ31からの改造編入車であるマニ32 74・76・79・82・83・91・2099・2101・2110・114・115・124・2126・129を改造した車両。 64と65は相互に種車を振り替えられていた。 41 - 43・60・62・66・67・78・1801968年(昭和43年)から1971年(昭和46年)にかけてマユ35 2001・2003 - 7・12・14・15を改造した車両。 59・771969年(昭和44年)にスハニ32 3・52を改造した車両。 184・1851971年(昭和46年)から1972年(昭和47年)にかけてマニ35形50番台を改造した車両。 他の0番台はスハ32系とスハ43系(44系)に属する。 100番台 (101)1963年(昭和38年)にマニ32 6を改造した車両。張り上げ屋根の初期型マニ32そのままの外観を有していた。
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