スタートレックが出来るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 06:09 UTC 版)
「ジーン・ロッデンベリー」の記事における「スタートレックが出来るまで」の解説
テキサス州エルパソ生まれ、ロサンゼルス・シティー・カレッジ卒業。第二次世界大戦ではアメリカ軍の爆撃機B-17のパイロットを務めた。 戦後はパイロットの腕を活かして、パンアメリカン航空で働く。またこの時、乗員としてパンアメリカン航空121便墜落事故(英語版)に遭遇、現地住民の協力を得て幸運にも帰還し表彰もされたが、これで人生が変わったとも語っている。 しかしパイロットはフライトまでの時間が長く、暇つぶしに詩や小説を書いている内に、航空雑誌に文章投稿を行なう様になった。この時初めて『スタートレック』の構想を公表している。 その後アメリカではテレビ文化がさらに発達した為、文筆業つまり脚本やプロデューサーの仕事に憧れたが、すぐ独立する事は無理なのでパンナムを退職、ロサンゼルス市警に就職しながら、テレビドラマの脚本家を目指した。当初は全く売れなかったが、地道に売り込みを続けた結果(白バイに乗って業界まで脚本を届けるパフォーマンスをした事もある)、1950年代から多数のテレビドラマシリーズの脚本を担当。気がつくと脚本家の収入が、出世もしていた警察官の6倍になっていた為、警察を退職する。 1963年にアメリカ海兵隊員の生活を描いたシリーズ『The Lieutenant』のプロデューサーを務めた、次に警察時代の経験を活かした警察ドラマ『激突!』をプロデュース。この時に『スタートレック』で活躍する事になる俳優(オリジナルメンバー7人の中からウィリアム・シャトナーとウォルター・ケーニッグを除く5人、およびメイジェル・バレット)やスタッフと知り合う。しかしベトナム戦争など社会批判を盛り込もうとすると検閲が入り、不満に思っていた所、直接でなく比喩表現で間接的に批判すれば検閲が入らない事に気がついた。これも『スタートレック』で、間接的な社会批判を作るきっかけの一つとなった。
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