スタートと撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/12 14:32 UTC 版)
以上の体制で、1985年(昭和60年)5月1日よりサービスの提供が開始された。約8,500箇所で発足した取次店は、最終目標としては約10万箇所まで増やす計画であり、サービス開始翌年の1986年(昭和61年)には約11,000箇所まで増えていた。 しかしながら、サービス提供開始から僅か1年後の1986年(昭和61年)5月には早くも撤退方針が発表される。同年11月予定のダイヤ改正で小荷物営業を全廃することが予定されていたが、これを機にこのサービスからも国鉄は撤退するというものであった。理由としては、送達日数が民間宅配便に劣る等のため取扱個数が伸びず(1986年(昭和61年)3月の取扱個数は約5万個と発表)、民営化新会社に引継いでも大きな伸びが期待できないことが挙げられていた。 また、鉄道小荷物輸送が全廃されることに伴い、それに対する輸送体制再編に取り組みきれなくなったことが、国鉄が手を引く原因となったのではないかとも推測される。見方を変えれば、新聞社等大口荷主の流出、郵便の輸送転換等により鉄道小荷物輸送が輸送財源を失い、荷物列車等の運行継続が困難となる中で、「ひかり宅配便」がそれ自体で鉄道小荷物輸送を成り立たせ得る程には成長していなかったということもできる。折悪しく、このサービスが開始された1985年(昭和60年)から1986年(昭和61年)にかけては、郵政省が郵便輸送体系を鉄道から自動車・航空機に大幅に切り替え、多くの鉄道郵便線路が廃止となった時期にあたる。鉄道小荷物輸送の財源だった小口の手小荷物、新聞や雑誌等の大口荷物、鉄道郵便の三者のうち後二者が失われたことで荷物専用列車の設定にも大きな影響を与え、幹線輸送体系が崩壊する時期であり、その登場があまりに遅かった憾みがある。
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