スソ‐しゅうどういん〔‐シウダウヰン〕【スソ修道院】
スソ修道院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 08:55 UTC 版)
「サン・ミジャンのユソ修道院とスソ修道院」の記事における「スソ修道院」の解説
2つの建造物群のうち、より古いのがスソ修道院である。これは、10世紀のレポブラション(Repoblación, 再入植)期の建築様式の簡素さをしっかりと守っている。 張り出したアーチに支えられていた3つの穹窿を持つ教会は絶壁にもたれかかるように建っており、聖オリア礼拝堂に面している。そして、その礼拝堂は11世紀に拡張されたもので、12世紀の作品である聖エミリアヌスの横臥した死者像が保存されているサン・ミジャン祈祷所と、6世紀の穴居民の小房群に面している。西ゴート王国時代には小さな礼拝堂群が岩を刳り貫いて作られたが、そのうちのひとつには雪花石膏を彫って作ったロマネスク様式の聖エミリアヌスの墓がある。 スソに入ると、回廊にはララ(Lara)の11人の子どもとその教師の石棺がある。また、そこには埋葬する場所がなく3人のナバラ王国の女王(王妃)の石棺もあり、13世紀にラ・リオハで生まれた修道士にして作家のゴンサロ・デ・ベルセオ(Gonzalo de Berceo)の墓もある。教会のそばには、洞穴に葬られた修道士たちの共同墓地もある。 現存最古のカスティーリャ語文書が書かれたのも、この修道院であった。977年に聖アウグスティヌスの作品のラテン語で書かれた注釈である Glosas Emilianenses を筆写した写字生が、欄外に数行のカスティーリャ語訳を書き付けたのである。この写本は後述のユソ修道院に保管されていたが、現在はエル・エスコリアル修道院に所蔵されている。 スソの外観 スソの内観 石棺
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