スソ修道院とは? わかりやすく解説

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スソ‐しゅうどういん〔‐シウダウヰン〕【スソ修道院】

読み方:すそしゅうどういん

Monasterio de Susoスペイン北部、カルナデス川に臨む丘の上建てられ修道院6世紀にこの地で修行した聖ミジャンにちなむ。10世紀創建されたロマネスク様式建築物で、スソは丘の上の意。後年、丘の下に建てられユソ修道院とともに1997年、「サンミジャンのユソスソ修道院群」として世界遺産文化遺産)に登録された。


スソ修道院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 08:55 UTC 版)

サン・ミジャンのユソ修道院とスソ修道院」の記事における「スソ修道院」の解説

2つ建造物群のうち、より古いのがスソ修道院である。これは、10世紀のレポブラション(Repoblación, 再入植)期の建築様式簡素さしっかりと守っている。 張り出したアーチ支えられていた3つの穹窿を持つ教会絶壁にもたれかかるように建っており、聖オリア礼拝堂面している。そして、その礼拝堂11世紀拡張されたもので、12世紀作品である聖エミリアヌスの横臥した死者像が保存されているサン・ミジャン祈祷所と、6世紀穴居民の小房群に面している。西ゴート王国時代には小さな礼拝堂群が岩を刳り貫いて作られたが、そのうちのひとつには雪花石膏彫って作ったロマネスク様式の聖エミリアヌスの墓がある。 スソに入ると、回廊にはララLara)の11人の子どもとその教師石棺がある。また、そこには埋葬する場所がなく3人のナバラ王国女王王妃)の石棺もあり、13世紀ラ・リオハ生まれた修道士にして作家のゴンサロ・デ・ベルセオ(Gonzalo de Berceo)の墓もある。教会のそばには、洞穴葬られ修道士たちの共同墓地もある。 現存最古カスティーリャ語文書書かれたのも、この修道院であった977年聖アウグスティヌス作品ラテン語書かれ注釈である Glosas Emilianenses を筆写した写字生が、欄外数行カスティーリャ語訳を書き付けたのである。この写本後述ユソ修道院保管されていたが、現在はエル・エスコリアル修道院所蔵されている。 スソ外観 スソ内観 石棺

※この「スソ修道院」の解説は、「サン・ミジャンのユソ修道院とスソ修道院」の解説の一部です。
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